• 池田卓夫 Takuo Ikeda

日本オペラ界の総力を結集、新国立劇場の委嘱新作「紫苑物語」の世界初演成功

最終更新: 2019年2月18日


フォワイエに飾られた本物の紫苑の花。思い草とも言われ、花言葉は「君のことを忘れない」「遠くの人を思う」

新国立劇場が大野和士オペラ芸術監督の就任とともに開始した日本人作曲家委嘱作品シリーズの第1作、「紫苑物語」の世界初演を2019年2月17日、同劇場オペラパレスで観た。石川淳が1956(昭和31年)に発表した同名の歴史小説に想を得て詩人の佐々木幹郎が台本を書き下ろし、本格的オペラは初めてという西村朗が作曲、笈田ヨシが演出、音楽学者の長木誠司が監修、大野が音楽監督を務める東京都交響楽団(都響)がピットに入った。


たまたま日曜日に当たり、朝はフジ系のテレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」を視ていた。数日前には、オペラシアターこんにゃく座の新作「遠野物語」も鑑賞した。日本の長い歴史と豊かな自然の中で育まれた人と神仏、動物、妖怪などとの「一体感」や往来を介して、様々な角度から人間存在の意義を問う視点は、「紫苑物語」にも強くあらわれていた。


歌人の家に生まれた主人公(宗頼=バリトン高田智宏)は父(テノール小山陽二郎)に反発しつつも、充てがわれた妻(うつろ姫=メゾソプラノ清水華澄)のパワーゲームや色情に嫌気がさし、叔父(弓麻呂=バリトン河野克典)の手ほどきを受け弓矢の腕を磨き、人も動物もお構いなしの殺戮に耽ける。血の流れた場所には、紫苑の花を植えた。うつろ姫には怪しげな陰陽師(藤内=テノール村上敏明)が接近、宗頼の裏をかく。宗頼はすべての記憶をなくす花が咲いているとされる山の向こうの世界にも憧れ、途上で謎の娘(千草=ソプラノ臼木あい)と出会い、その色香に溺れる。千草の正体は矢に射られた狐で復讐が目的だったが、次第に宗頼と同化。千草は魔の矢に化け、ともに山へと向かう。ここまでが第1幕だ。


第2幕では宗頼が魔の弓で弓麻呂を倒すと、この叔父もまた、狼の化身であったことがわかる。山では一途に仏像を岩に刻む青年(平太=バリトン大沼徹)と遭遇するが、おそらく宗頼のドッペルゲンガー。平太の必死の説得にも耳を貸さず、山の仏に矢を射た宗頼は千草とともに闇に消え、彼らの留守中に権力を奪った藤内、うつろ姫のカップルも矢の飛び火で焼け落ちる。平太は宗頼らの魂と一体になり「大日経」を唱え続けるが、鬼たちの合唱が聞こえるなか、力尽きる。これが救済なのかミゼラブルな崩壊なのか、私にはよくわからない。


石川淳は1899年(明治32年)に生まれ、1987年(昭和62年)に亡くなった。大正デモクラシーのもとに少年時代を過ごし、青年期に日本の軍国化をリアルタイムで体験、敗戦時は46歳になっていた。「文武両道」という言葉があるけれども、文が弱ければたちまち武の力に負け、元々は芸術的感性に恵まれた若者も一瞬にして権力の亡者となり、社会の破壊に手を貸してしまう。決して、良いことばかりではない。「自分探し」も流行って久しいが、背後に潜む無責任な他力本願がいつしか、本人の存在すら台無しにしてしまう危険を孕む。


「なぜ今、《紫苑物語》をオペラにするのか?」の疑問は観終わって解消した。日本社会では70年以上も平和が続いてきたが、これからも続く保証はどこにもない。様々な局面で崩壊への不安が見え隠れする今だからこそ、オペラとして再び世に問おうとした制作チームの思いは、確実に伝わったと思う。佐々木の台本は簡潔だが、古文と妙に現代的な言い回しが混交、様式美よりは聴こえやすさを優先したのかもしれない。西村の作曲は第1幕、婚礼の場面で合唱(新国立劇場合唱団の驚異的集中力と達者な演技!)を多用して壮麗な演奏効果を上げた半面、台本ともども人物紹介に力を入れすぎ、客席から話の流れを理解するのは、かなり大変だった。しかし第2幕は2組の強烈カップルの4重唱はじめ、オペラのステレオタイプも巧みに取り入れた筆致が冴え渡り、フィナーレまで一気に引っ張った。初演早々お節介な私見だが、第1幕を少しすっきりさせたら再演も、より容易だと思う。笈田の演出はミラーの多用で客席も物語に巻き込み、それぞれのキャラクターを鮮やかに視覚化した。


ソリストは全員、持てる力を出し切り、新境地を開拓してみせた。特に高田、清水、臼木、大沼の深く役に入り込んだ解釈は、歌唱の難易度を考えると、驚異的にすら思えた。西村の音楽を隅々まで知悉した大野の指揮は冴え渡り、都響の潜在能力すべてを引き出した。これくらいの実力のオーケストラがピットに入ると、オペラパレスもフルに鳴りきり、爽快だ。

(続く上演は2月20、23、24日の3回)










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