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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

新国立劇場「トレリンスキ版ボリス・ゴドゥノフ」の衝撃

更新日:2022年11月28日


すごく寒い午後に戦慄の初日

新国立劇場オペラ芸術監督、大野和士がリディア・シュタイアー演出「アルマゲドンの夢」(藤倉大)、ケイティ・ミッチェル演出「ペレアスとメリザンド」(ドビュッシー)に続く強烈なヒットを、自らの指揮で放った。映画監督でもあるポーランド国立歌劇場芸術監督、マリウシュ・トレリンスキがムソルグスキーのスコアを組み替え、カットーーポーランドの場面を初版通りに省き、貴族の娘マリーナは出てこないーーと読み替えを施した「ボリス・ゴドゥノフ」である。2022年11月15日の初日(ワールドプレミア)を同劇場オペラパレスで観た。今回の公演は当初ワルシャワで初演、題名役はロシアのバスバリトン、エフゲニー・ニキーチンが歌うはずだったが、ロシアのウクライナ侵攻に伴うヨーロッパ情勢の変化で東京が初演を担い、新国立劇場のワーグナー上演で実績のあるドイツ人バス、ギド・イェンティンスが代役に起用された。大道具・小道具や衣装はワルシャワで作って日本に持ち込み、特殊ヴィジョン、マルチメディアのスタッフも含めヨーロッパのチームが大挙来日、なかなか賑やかだった。


今回の公演では有料のプログラム冊子の内容が非常に充実しており、オペラに限らないロシア&東欧の歴史、ムソルグスキーの生涯、いくつかの異版が存在する作品の詳細な分析などを読むことができる。「あらすじ」冒頭、「戴冠式を間近に控えたボリス・ゴドゥノフは、障がいのある息子フョードルのベッドの傍らで過ごしていた。ゴドゥノフは息子のそばにいないと精神的に崩壊してしまう」の1文が、トレリンスキ演出の視覚を適確に指摘する。聖愚者(テノール清水徹太郎が声のみ出演)と憑依一体化した黙役のフョードルをポーランドの女優ユスティナ・ヴァシレフスカが激烈に演じ、大きな存在感を発揮する。ドラマトゥルクのマルチン・チェコが記したプロダクション・ノートは、トレリンスキのアプローチを起点から丁寧に語り、演出意図を浮き彫りにする。最後の段落で僭称者グリゴリーを「ナルシストで、フィナーレでは獣としての正体を現します。世界が大混乱に陥るのを見て楽しんでいるのです」と説明、「今日私たちが目にしている動乱(スムータ)は、不適切な人物が権力を手にしたがために起こっており、僭称者はそのシンボルなのです」と言い切った。


ロシア音楽に詳しい音楽学者、一柳富美子の作品ノートは、ムソルグスキーのオペラがヴェルディやワーグナーのように起承転結のはっきりしたドラマトゥルギーの構造体ではなく、「場面ごとの関連性が薄い」点を明確に指摘している。トレリンスキが自身の究めたボリス像に基づき、ドラマを再構築する余地の非常に大きい作品であったこともプラスに働いた。象徴的で美しい映像と、実際のクルーが上演中にカメラで追うキャストの極端なクローズアップの対照は、「現場」の迫真性を高めていた。大野が音楽監督を務める東京都交響楽団を指揮した管弦楽も隅々まで掘り込まれ、ロシア音楽特有の温かさと物語の残忍さを象徴する表現主義的に尖った響きを兼ね備え、素晴らしい出来栄えだった。


イェンティンスの題名役は声の迫力こそピーメンのジョージア人バス、ゴデル・ジャネリーゼに何歩か譲るが、巧みな心理描写で乗り切った。シュイスキー公のアーノルド・べズイエンも狡猾な雰囲気を上手に演じた。クセニアの九嶋香奈枝、グリゴリーの工藤和真(新国立劇場デビュー)、ヴァルラームの河野鉄平、酒場の女主人の清水華澄、シチェルカーロフの秋谷直之、ミチューハの大塚博章ら日本人キャストも適材適所以上の果敢な踏み込みをみせ、新国立劇場合唱団、TOKYO FM少年合唱団(可哀想に、キモい被り物で登場)ともども隙のないアンサンブルを築いた。


第4幕の終わり近く、ボリスは息子に死が差し迫っていると悟り、僭称者の残虐行為の餌食とされないために自らの手でフョードルを殺す。障がい者用ベッドの周りでのたうち回る息子の傍らでボリスが意を決して枕を持った瞬間、極限の覚悟の殺意を感じた私の心臓はバクバクとした。討たれたボリスの亡骸が黒い袋に入れられ、宙吊りにされる場面は、完全に第二次大戦中のイタリア、ムソリーニの公開処刑のパロディーだ。


映画監督の徹底したリアリズムと命題の読み込みを象徴する黙役の起用について、もう一言付け加えれば、アメリカ合衆国の上演基準に照らした場合、障がい者の描き方がポリティカル・コレクトネス(ポリコレ=政治的妥当性)に反する(インコレクト)と判断され、このままのヴィジュアルで上演できる可能性は極めて低いのではないかと考えられる。過酷な現実に目を背けず直視することが全体の「善」に向かう第一歩とは分かっていても、社会のあらゆる場面から差別表現を徹底して排除する風潮と折り合いをつけるのは、日増しに難しくなっている。トレリンスキのチームと新国立劇場がこうしたリスクを大胆にとり、「プーチンの戦争」の渦中に画期的な「ボリス・ゴドゥノフ」を発信した意義は、とても大きく、重たいと思った。






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