• 池田卓夫 Takuo Ikeda

新国立「ルチア」の美声饗宴も岡本拓也のギター1本も歌のご馳走には違いない

最終更新: 4月22日


夢か現(うつつ)か?

2021年4月21日は週半ば、水曜日であるにもかかわらず昼にオペラ、夜にギターと、編成からみてマックスとミニマム、両極端の演目をハシゴした。自分でも驚くほど疲れなかった理由は「歌」。人間の声の魅力をとことん引き出すオペラはもちろん、器楽でもいかに人間を投影し、心に響く歌を奏でられるかが、感動の決め手となる。良い1日だった。


1)新国立劇場「ルチア」(ドニゼッティ「歌劇《ランメルモールのルチア》」@オペラパレス)

スペランツァ・スカップッチ指揮東京フィルハーモニー交響楽団、新国立劇場合唱団(指揮=三澤洋史)、ジャン=ルイ・グリンダ演出(再演演出=澤田康子)

ルチア=イリーナ・ルング(ソプラノ)、エドガルド=ローレンス・ブラウンリー(テノール)、エンリーコ=須藤慎吾(バリトン)、ライモンド=伊藤貴之(バス)、アルトゥーロ=又吉秀樹(テノール)、アリーサ=小林由佳(メゾソプラノ)、ノルマンノ=菅野敦(テノール)

新国立劇場は開場6年目の2002年10月、五十嵐喜芳オペラ芸術監督時代にトラヴァリーニ演出の「ルチア」を1度上演したきりでレパートリーから消え、2017年にグリンダ演出を新制作した。今回は後者4年ぶりの再演。再演演出を担うはずだった菊池裕美子が2月1日に脳出血で倒れて目下療養中、澤田康子や島田彌六のチームが最終場面の演出変更までを手がけた。リュディ・サブーンギの美術は美しいが、第4幕の大詰め、海岸の断崖絶壁を見るたび、自殺の名所?といわれる福井県の東尋坊を思い出してしまう。グリンダ自身の指示による変更の1つがエドガルドの亡くなる幕切れで、「トスカ」みたいに海へ身投げして終わるため、ますます東尋坊に見えたのだった。ちなみに、もう1箇所の変更は「狂乱の場」で、ルチアがアルトゥーロの生首とともに現れるグロテスクを引っ込めたのだそうだ。


キャストはそれぞれ良く歌い、演じていた。題名役ルングは初演時のオルガ・ペレチャッコに続きロシア人。コロラトゥーラというよりはリリコなので、装飾音型の歌い方が「玉を転がすように」ではなく「ブルドーザーで踏み固める」感じになるのはご愛嬌ながら、スラリとした美人で芯のある美声だから悲劇のヒロインが似合う。対するブラウンリーは2006年「セビリアの理髪師」(ロッシーニ)以来の新国立劇場登場。15年間に世界屈指のベルカントテノールの地位を固めた。今回もベストフォームで原調通りの最高音を難なくクリア、アリア・フィナーレ「祖先の墓よ」の哀切極まりない歌唱は深く胸を打った。第1幕の二重唱はまだ、2人の声のウエイトとスタイルの違いが気になったが、そろって高水準の歌唱と演技で突き進むうち、表面の相違を超えた音楽の説得力が増し、余り気にならなくなった。


エンリーコの須藤。来日できなくなった外国人歌手の代役だったが、今まで聴いた須藤の中でも最も優れた歌唱であり、シュッとした立ち姿がエンリーコの剛直な性格をストレートに物語った。ライモンドの伊藤、アルトゥーロの又吉は声の立派さだけでも十分なのに、キャラクター造形も巧みだ。小林、菅野は初演にも出ており、隙のない演唱といえた。感染症対策の距離を保ち、やや素っ気ない動きになってしまった合唱も音楽的には万全だった。


最大の問題はスカップッチの指揮。大きな身振りでオーケストラを派手に鳴らす方向へ関心が向かい、ソリストにつける部分はまだしも、管弦楽だけの部分、合唱の場面ではムチャクチャに煽りまくるので、喜びも悲しみもすべて人肌の温もりを絶やさずに温かく包み込むドニゼッティのスコア独特の〝触感〟を味わえない。基本「はたき込む」だから、イタリアオペラの基本であるはずのカンタービレがズタズタに寸断されてしまう。せめてもの救いは意欲満点で、とことん陽性なことか? 経験を積み、もっと良い指揮者になる可能性はゼロではない。名前通り、speranza(スペランツァ=希望)のままでいてほしいと期待しよう。


2)岡本拓也ギター・リサイタル(東京文化会館小ホール)

私が東京国際ギターコンクールの終身審査員(公益社団法人日本ギター連盟に「お金がなくなったので審査員をギタリストに限定します」と言われ、終身を解かれた!)だった時期の2010年、2位を得たのが当時18歳の岡本拓也である。音楽性では断トツだったのに、先輩ギタリストの審査員数人に「今の若さで1位を取らせると天狗になるから、2位でいい」と強硬に主張され、唖然とした体験が生々しかったせいか、かえって記憶に残る名前となっていた。日本の大学ではなくウィーン音楽大学に進み、2018年11月には、その大学院修士課程を満場一致の最優秀成績で修了した。その岡本が大先輩の福田進一の目にとまり、インディーズ(独立系)レーベルの「マイスター・ミュージック」で福田がプロデュースする「ディスカバリー・シリーズ」の第5作として新譜「One(ワン)をリリースするタイミングで、記念リサイタルに打って出た。すっかり大人っぽくなった岡本を聴く絶好の機会だ。


冒頭のバリオスだけでもう、溢れ出る歌心と心底からの音楽に満たされたギタリストである実態が明らかとなり、11年前の自分がなぜ、彼の演奏に惹かれたのかの理由を確かめる瞬間ともなった。そうだ、この音楽だ!基本はウェット。絶えず温もりある音、ノイズ皆無の滑らかな運指でレガート(音から音への移行がスムーズ)なフレーズを編み、息の長い歌の線を描いていく。楽譜に潜む作曲家の声を必死に探り、生々しい人間の声として再現する。唯一、J・S・バッハだけは私個人のテイストではあるが、湿り気が過剰なような気もして、もう少しソリッドに弾いてもいいと思ったが、音楽の格調高さだけは疑う余地がなかった。


後半はトーク(まだ、ぎこちない)を交え、より新しい作品にシフトした。温もりを残したまま切れ味をアップする技倆の豊かさも印象付けたはずだ。楽曲の知名度や時流に媚びず、かなりハイブロウな選曲だったにもかかわらず、聴き手の耳を惹きつけ、一瞬たりとも飽きさせなかった力量の確かさ! ますます、目の離せないギタリストに成長していた。

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