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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

座間を観ろ!ヴェルディの意図を最大限伝えたノーカット「椿姫」の高水準上演

更新日:2021年9月7日


記念事業とはいえオーケストラ付全曲舞台上演が4,500円均一とは太っ腹!

神奈川県の座間市が2021年9月5日、市制施行50周年の記念にヴェルディの歌劇「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」全3幕を完全ノーカットで上演した。制作は2008年に同市で発足した「オペラ・ノヴェッラ」というオペラ団体(株式会社組織)が受託、その代表取締役であるテノール、古川寛泰が演出を手がけた。古川は2015年に脳卒中を発症、今も右半身麻痺の後遺症が残るものの、イタリアで最先端のリハビリ訓練を受けて失語症を克服、2018年に「イタリアで受けた愛情を生かして」演出家デビューを果たした。原作や台本も徹底的に読み込み、「作曲家の意図を最大限に生かした舞台」を演出の基本に置くという。


「トラヴィアータ」での古川は「初演当時の19世紀半ば、ヨーロッパではコレラ、そして結核が大流行し、まだ未知の病でした。(結核で絶命したクルチザンヌ=高級娼婦を扱った)スキャンダラスな社会派の内容の現代作品であった《椿姫》の上演に当たり、統治国側ヴェネツィアの検閲当局は、病の流行などを道徳的観点から問題視。16世紀後半に遡った衣装、本来ヴェルディが望んだ《愛と死》の題名を改めるよう義務付け、上演されました」(プログラム冊子より)との史実を重視した。コロナ禍の中で「不自由な現代に生きる我々だからこそ、この悲しい物語を深くできるのだと知っていただきたい」の願いをこめ、一切のカットや高音の追加を排し、ヴェルディが書いた音のすべてをそのまま全幕上演に反映させた。「原作《椿を持つ女》とは違い、歌劇《椿姫》のラストシーンでは愛あふれた情景が見られます。死が待ち受ける中、人は何故生きるのか?、その真理に近づける作曲家たちの意図に基づいた舞台が整いました」と、古川は説明する。


すっきりした舞台、最小限の小道具で夜会場、愛の巣、パーティー、死の床などの状況変化を描き分け、社交界の男女に相応しい衣装が彩りを添える。空疎な宴会の雑踏が去り、孤独と病の苦痛に耐えるヴィオレッタ1人になった瞬間の暗転をはじめ、照明(望月太介とA・S・G)のセンスの良さにも感心した。アルテシェニカ(身体表現)はドイツ語圏のムジークテアーター(音楽劇場)流儀の克明なリアリズムではなく、イタリアのメッロドラーマ(歌芝居)の伝統に即し、ある程度の様式化で集約された動きでイタリア語の台本(フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ)、ヴェルディの音楽を丁寧に歌い込む、あるいは語り紡ぐ中から自然にメッセージを伝えていく路線だ。この方法論を可能とするには歌唱力、発音が何より決め手だが、今回は全員が責任を果たし、優れたアンサンブルにも仕上がっていた。



私が長く愛聴してきた「椿姫」全曲は「プリマドンナ・メイド・イン・USA」と呼ばれ、世界を制覇した往年の米国人ソプラノ、ベヴァリー・シルズがニコライ・ゲッダ(テノール)、ロランド・パネライ(バリトン)、アルド・チェッカート指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と1971年に録音したEMI(現ワーナーミュージック)盤だ。シルズの可憐で繊細、悪くいえば「お涙頂戴」のウェットな声が歌芝居の妙を描き尽くしている。


座間のヴィオレッタ、ブレーシャ在住の田中絵里加にはシルズを思わせるセンシティヴな哀感が漂い、ハッとした。コロラトゥーラの俊敏さを求められる第1幕よりもリリコの第2幕、ドラマティコの第3幕にかけて調子を上げ、臨終を見事に決めた。宮里は一途な青年ぶりを持ち前の美声で切々と歌い上げ、それだけでも素晴らしいテノールといえるが、最近のハードスケジュールか声質変化か、アルフレードには少し重すぎる声で時々「カヴァラドッシ(プッチーニ《トスカ》の役)の方が向いているのではないか」と思ったりもした。どうか働き過ぎに気をつけ、声を大事に育ててください! 今井の父ジェルモンは光沢のあるバリトンの美声、はっきりとしたディクションで演じきる歌役者ぶりが圧巻だった。とりわけ第2幕第1場のヴィオレッタとの二重唱は田中ともども声を張り上げるだけの歌合戦に背を向け、愛憎と哀切の入り混じる複雑な心理の綾を歌の力で立派な演劇の時間に昇華させた。


第2幕、第3幕それぞれの重唱も、医師グランヴィルにも実力派バスの加藤宏隆を投入するなどの贅沢なキャスティングが功を奏し、厚みがあっても明晰な和声の音楽となっていた。第3幕の慣習的カット部分を復活させたことでヴィオレッタ、アルフレード以外の人々(アンニーナ、グランヴィル、父ジェルモン)の愛、心の痛みも鮮明に浮かび上がった。


管弦楽はマグデブルク、デッサウ、ヴィンタートゥールなどドイツ語圏の歌劇場でカペルマイスター(楽長)経験を積み、2009年からオペラ・ノヴェッラで指揮者を務める瀬山智博が昭和音楽大学所属のテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラとともに担った。ここ数年、日生劇場をはじめとする外部公演にも出演するようになったオーケストラだが正直、アンサンブルへの評価は高くなかった。しかも今回のピットは第1、第2ヴァイオリンがそれぞれ5人の小編成なので心配した。実際には第1幕の前奏曲が始まった瞬間、(良い意味で)耳を疑った。繊細で緻密なアンサンブル、エスプレッシーヴォ(表現力豊か)なフレージングと音色で、ヴェルディのスコアの細かいところまで丁寧に再現しているではないか! 


瀬山が指揮してきたドイツの地方都市の歌劇場は東京文化会館や新国立劇場に比べると座席、オーケストラの規模とも小ぶり、レパートリーシステムにより日替わりで複数の演目を上演していくので、どの演目も限られた編成で手際よく上演するノウハウが膨大に蓄積されている。ピット使用時の定員が1,174席のハーモニーホール座間大ホールの空間には十分な編成であり、瀬山がメンバーのポテンシャル(潜在能力)を巧みに引き出すので、問題なくリッチに響いた。多目的ホールとしては比較的新しい設計(1995年オープン)、極端にデッドではなく程よい残響も心地よい。瀬山は余計な自我を絶対に主張しない半面、ドラマが転換するポイントでは十分な間(ま)をとり、ゆっくり歌い込む場面、勢いよく展開する場面のテンポに緩急のメリハリをつけるーーと現場感覚には富む指揮ぶり。アリアのサポートだけでなく全員が一斉に歌う箇所でのアンサンブルの締め、さりげない個々の引き立て、着地に向けた追い込みなどでオペラを生で聴く醍醐味、スリルをたっぷり味わわせてくれた。


合唱は「ハーモニーホール座間 オペラ合唱ワークショップ参加者」。恐らくプロの指導者を交えたアマチュアだろう。地元の北島フラメンコスタジオの第2幕第2場の舞踊(振付=北島歩)ともども、これだけ本格的な上演にもかかわらず、地域オペラのアイデンティティも大切に残しているのがまた、市制施行50周年の記念事業にふさわしく、素敵だった。


自宅から鉄道3社を乗り継ぎ、2時間かけて座間にたどり着き、乾いた喉を潤そうとホール内の自販機で買った座間市上下水道局のミネラルウォーターの名称は「ざまみず」だった。この素晴らしい上演を「みず」に終わった人々には「ざまあみろ」、いや違う、「座間(のオペラ)を観ろ!」と言ってみたい。次回のオペラ・ノヴェッラ公演は2022年9月4日。今回と同じくハーモニーホール座間大ホールで、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」とプッチーニの「修道女アンジェリカ」のダブルビル(二本立て)を上演する予定。




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