2021年1月27日。同じ「オーケストラ」を名乗りつつ、方向性も感触も全く違う2公演を聴いた。かたや優しい慰め、かたや血気盛んな鼓舞。それでも一つの太い流れのようなものを感じた。その理由は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)との闘いが長期化、世界の人々の心身が疲弊し、コンサートの開催も脅かされるなか音楽がもたらす効用を信じ、社会の一角に何とか火を灯そうとベストを尽くす音楽家の「思い」に帰せられるのではないか。
1)ARIOSO CHAMBER ORCHESTRA(アリオーソ・チェンバー・オーケストラ)第1回定期演奏会、指揮=平井秀明(2021年1月27日、セシオン杉並大ホール)
平井康三郎「弦楽のための幻想曲第1番」
ショパン「ピアノ協奏曲第1番」(独奏=近藤嘉宏)
ソリスト・アンコール:ショパン「《ワルツ》第7番嬰ハ短調」
ドヴォルザーク「ノクターンロ長調」
チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」
アンコール:平井秀明「歌劇《かぐや姫》より《間奏曲》」
平井は1970年生まれなので、もはや「若手」とはいえない。祖父が作曲家(康三郎)、父がチェロ奏者(丈一郎)という音楽一家の出身でチェロも作曲(とりわけオペラ)もこなすが、米ロチェスター大学では政治学科を卒業した。ヨーロッパ・デビューは1995年。カルロビ・ヴァリ交響楽団を指揮してで以来、チェコ音楽にも傾倒している。アリオーソ(レチタティーヴォより旋律的あるいは小ぶりのアリアを意味する音楽用語)チェンバーは「歌心とともに」を基本として平井が今年設立、音楽監督に就いた。第1回定期はコロナ禍も考慮して17人編成の弦楽合奏とコンパクトにまとめ、同世代の近藤をゲストに招いた。
発足して間もなく、「全員、トップクラスのソリストで固めました!」みたいなフェスティヴァル指向の組織でもないから、アンサンブルの精度は粗いし響きも薄く、平井祖父の作品の妙味を味わわせるまでに至らない。ショパンの協奏曲。近藤の真摯に吟味されたソロに対しても17人編成ならもっと室内楽の感触を残し、積極的にからむことができたのではないかと思われた。だが後半のドヴォルザークで、彼らの目標とする「歌心」が機能しはじめ、チャイコフスキーでは平井とアンサンブルが目指す心優しい音楽を十分に味わえた。長身を生かして明快に振り、「上から下」へのビートよりも「下から上」への躍動を重視する平井の指揮のよさを久しぶりに確かめた。緊急事態宣言下の平日昼公演で寂しい客席ではあったが、世には「小さく生んで大きく育てる」という言葉もあり、今後の展開に期待したい。
2)NHK交響楽団「1月の演奏会・サントリーホール」、指揮=鈴木優人
J・S・バッハ「《ブランデンブルク協奏曲》第1番」
ベートーヴェン「序曲《コリオラン》」
ブラームス「交響曲第1番」
鈴木は1981年生まれだから日本風には今年、「不惑」に到達する。なるほど、はっきりと一点を見据え、迷いのない音楽を今夜は聴いた。
プログラムは、「コロナ以後」のN響ではかえって稀なほど正統派の「ドイツ3大B」。とりわけ優人には新しいレパートリーである「ブラ1」はマタチッチ、サヴァリッシュら往年の名誉指揮者たちのストライクゾーンに当たり「どう〝料理〟するのか?」に興味が集中した。もう少し細かく検証すると、「3大B」であっても並びは「序曲→協奏曲→交響曲」の19世紀ヨーロッパ富裕市民層(ブルジョワジー)鑑賞団体が考案した定食メニューを採用せず、優人が通奏低音のチェンバロを弾きながら指揮、チェロを除く全員が立奏する協奏曲だけの前半で始まった。後半は対向配置のフルオーケストラが現れたが第1、第2のヴァイオリンとも12人にそろえる、ティンパニは同じ奏者(久保昌一)ながらベートーヴェンとブラームスで時代楽器を替える、協奏曲でソロを務めたホルンの福川伸陽は後半に乗らず、首席は今井仁志が担う…と、かなり多くの部分で「前例踏襲」をキッパリと拒んでいた。
晴れやかな愉悦感に溢れリラックスの極み(心のゆとり)のバッハに対し、ベートーヴェンとブラームスは激烈。あまりの対照に、息をのんだ。ベートーヴェンが時代と社会に対して挑んだ闘いの半端ないエネルギーは、わずか8分の序曲にも充満し、ブラームスへとしかと受け継がれていく。自ら「ベートーヴェンの後継」を意識し作曲に足かけ15年を費やした「交響曲第1番」では社会的闘争のエネルギーが内面の葛藤の熱さに転換する一方、バッハ以降のヨーロッパ音楽史を統合するかのような様式の重層性をみせる。初演時、ブラームスは43歳。まだ、若い力を使い尽くす前だったに違いない。目下のN響は世代交代に成功し、都内でも最も平均年齢が低いグループに属するアンサンブルで、どの管楽器のソロも抜群に巧い。もはや最年長組に位置するコンサートマスターの篠崎史紀(マロ)が若手の成長に目を細め、慈しみながら奏でるソロも味わい深い。鈴木がブラームスで採用した速度は豪速球型で、第1楽章のリピートを実行したにもかかわらず全曲演奏時間は45分にとどまった。
アグレッシヴで斬新な半面、「音楽史オタク」のブラームスが趣向を凝らして引用あるいは参照したバッハ以前から同時代までの音楽素材のことごとくも抜かりなく浮上させ、周到な演奏といえた。熱気の肌触りを体感しつつ思い出したのは、優人が生まれた国オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に君臨しつつも早世したエドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901ー1959)、アルザス出身のドイツ人ながらナチスに反旗を翻してフランス国籍に転じたシャルル・ミュンシュ(1891ー1968=ヴァイオリニスト時代はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団コンサートマスターも務めた)らの芸風だった。それぞれ優人より80歳、90歳年長のマエストロだが、ヨーロッパの音楽土壌に脈々と流れ、今も生き続ける人間や社会、時代と向き合い、闘い、葛藤し、真実を極める芸術家精神のありようを振り返る時、新鮮なエネルギーの爆発と先祖返りは、ちっとも矛盾する現象ではないのだと思う。
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