• 池田卓夫 Takuo Ikeda

巣ごもり直前コメディーで憂さ晴らし、日本オペラ振興会ダブルビルの快打!

最終更新: 4月25日


死神は女性名詞のデスゴッデスにリニューアル

出かける前は正直、少し気が重かった。リッカルド・ムーティ指揮東京・春・音楽祭「マクベス」(ヴェルディ)の破格の演奏会形式上演、新国立劇場の内外名歌手をそろえた「ルチア」(ドニゼッティ)と同じ週の終わりに日本オペラ振興会設立40周年記念の日本オペラ協会&藤原歌劇団合同公演、「魅惑の美女はデスゴッデス!」(池辺晋一郎)と「ジャンニ・スキッキ」(プッチーニ)のダブルビルを観に行くのは(とても申し訳ないけど)かなり心配だった。この公演だけ観ていたら感心できていたはずのものが、してはいけない比較などして、厳しいレビューを書いてしまうのではないか…。でも、それは杞憂に終わった。


実に楽しいオペラ体験となった最大の理由は、日本語とイタリア語の喜歌劇を共通の大道具で一貫した流れにまとめ、身近な世界から名作オペラへの接近が進み、あまり余計なことを考えずに笑いつつ、フレッシュな声の饗宴を気軽に楽しめる仕掛けにあった。1934年発足の藤原歌劇団、1958年が起源の日本オペラ協会は1981年に合併して財団法人日本オペラ振興会となり、2012年に公益財団法人へ移行した。以後も両者それぞれに公演してきたが、合併40周年の節目に日本語、イタリア語の作品を並べ合同公演を打ったのが功を奏した。


「デスゴッデス」は池辺にとって実質上のオペラ処女作、「死神」のリメイク版で1971年の原作初演から半世紀が過ぎた。退職後「ニューオペラ・プロダクション」を立ち上げたNHKの杉理一ディレクターがザルツブルク・テレビオペラ祭に出品するための新作に明治の落語家、三遊亭圓朝がルッチ兄弟作曲のバロックオペラ「クリスピーノと死神」に想を得て作ったとされる「死神」を選び、映画監督の今村昌平に脚色、池辺に作曲を依頼した。映像を制作した時点で上演時間60分、2管編成のオーケストラ。ザルツブルクでは優秀賞を授かった。日本オペラ振興会が1978年に藤田傳を脚本に起用、2幕版100分の改訂版の上演を決めた時、管弦楽は逆に1管の室内編成に縮小され、池辺の弟子の西田幸士郎がスコアを整えた。1983年、同協会による3度目の上演では池辺自身が13人編成に改編、1992年に埼玉県民オペラがピアノ伴奏で上演した際は池辺自身が作詞した「死神のアリア」が追加され、今回は1983年版スコアにアリアを挿入しての上演。2010年以降の再演は「魅惑の美女はデスゴッデス!」の題名に差し替えている。「いつのまにかいくつもの版が生まれてしまった。これに、忸怩たる思いを抱くようになる。そこから『版はひとつ』に徹したいという思いが生まれた」と、池辺は公演プログラムに記した。裏を返せば、ひとつの創作日本語オペラが半世紀もの間、手を替え品を替え再演を繰り返しているわけで名作には違いない。


落語のしょぼくれた死神(デスゴッド)は妖艶な美女(デスゴッデス)に換骨奪胎され、2021年4月24日の昭和音楽大学テアトロ・ジーリオ・ショウワ(神奈川県川崎市)ではソプラノの長島由佳が極めて魅力的に演じた。インポテンツ(字幕では伏字)の葬儀屋の亭主、早川は若手で美声のバリトン村松恒矢。くたびれた感じを巧みに作り込んだが、ちょうど「オペラ座の怪人」のファントムが実はイケメン俳優といった感じで、巧まざる色気を漂わせていた。ベッドシーンのパンツの模様が「鬼滅の刃」を思わせる悪戯には、笑った。他のキャストも適材適所でアンサンブルが引き締まり、100分を長く感じさせなかった。松下京介が指揮するテアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラは池辺の玲瓏なスコアをキリッと立ち上げ、日本オペラ協会アンサンブルの合唱のキャラクターも良く引き出していた。岩田達宗の演出、いつも以上に関西人(神戸市出身)のお笑いセンスを率直に出し、随所で笑いをとる。大きな輪を3つ重ねた舞台、棺桶が並ぶ舞台は大詰めで母体の胎内と化し、早川を殺した「やくざの鉄」と結ばれ妊娠した葬儀屋の女房の生まれくる子と臍帯の赤い糸で結ばれているが、その子がまたしても早川で「生まれたくない」モード全開で幕を閉じる。


赤い臍帯の切れ端は後半、「ジャンニ・スキッキ」の舞台で3つの輪がそのまま残るブオーゾ・ドナーティ邸の天井からぶら下がり、棺桶も見事に?リサイクル。縁(えにし)を意味する赤い糸はイタリア古典→圓朝の「死神」→池辺の「デスゴッデス」→プッチーニが「ジャンニ・スキッキ」の下敷きとしたダンテの「神曲」…ジャンルと時代を超えた名作を結ぶ象徴ともなっている。こちらも美声の饗宴といって差し支えない素晴らしいキャスティング。題名役の上江隼人は二期会時代にも同役を歌っていおり、軽妙はイタリア語の早口言葉の捌き方、ブッフォ(喜劇役者)の表現には一段の磨きがかかった。ラウレッタに砂川涼子というのも豪華だが、ビタミンカラーの可愛い衣装がいまだに似合う若々しい容姿と円熟の歌唱の二物を備え、最上のトッピング。相手役リヌッチョの海道弘昭の伸びやかな美声、情熱的な歌唱とのバランスも予想以上に良い。さらにツィータの松原広美、ラ・チェスカの山口佳子の強烈な存在感!男声陣も粒が揃い、アンサンブルオペラのスタイルを適切に再現した。上江がジャンニ・スキッキの後口上を達者に告げると、管弦楽がまだ鳴っているにもかかわらず大きな拍手が起き、観客が心底、ドラマの世界に同化しているのが良くわかった。


イタオペに愛情以上のフェティシズム(ごめんなさい!)を抱く(と思われる)松下の指揮は、ますます冴えていた。ただでさえ登場人物が2作を通じて多いうえ、ダブルキャストの稽古をコロナ禍の限られた条件下でつけざるを得なかった岩田の苦労は察するに余りある。だが、なぜか今回、岩田一抹のネクラさは完璧なまでに影を潜め、お笑い路線の意図が決まりに決まっていた。コロナ禍長期化と変異株の猛威により、ついに3度目の緊急事態宣言入り寸前のタイミングでの上演は、私たちの満たされない思い、先行き不安をほんの一瞬にせよ忘れさせる笑いに満ち、芸術の香りを伴った憂さ晴らしという最上の効用をもたらした。

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