1)神奈川フィルハーモニー管弦楽団特別演奏会「東京公演 for Future」(2022年2月22日、東京オペラシティコンサートホール)
指揮=川瀬賢太郎、ソプラノ=半田美和子※、コンサートマスター=﨑谷直人
リゲティ「ルーマニア狂詩曲」(1951)、「ミステリー・オブ・ザ・マカブル」(室内楽版=1978)※
マーラー「交響曲第5番」(1902)
2)東京フィルハーモニー交響楽団第144回東京オペラシティ定期シリーズ(2月24日)
指揮=井上道義、ピアノ=大井浩明※、コンサートマスター=依田真宣
エルガー「序曲《南国にて》」(1904)
クセナキス「ピアノ協奏曲第3番《ケクロプス》」(1986)※
ショスタコーヴィチ「交響曲第1番」(1926)
アンコール:J・シュトラウス「ワルツ《南国のバラ》」(1880)から
2022年2月24日、ロシアのプーチン大統領がウクライナ侵攻に踏み切ったことによって、東京オペラシティで聴いた2つのオーケストラ演奏会は音楽に「まとわりつく」歴史の重み、悲劇、皮肉などに改めて考えを巡らす場となった。すべての楽曲に初演年を( )で記したが、J・シュトラウスを除けば全曲、20世紀の最初4分の3の期間に書かれている。ショスタコーヴィチが18歳から19歳にかけて作曲した交響曲は「間違いなく天才の筆」(井上)ながら、ロシア革命で誕生したソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が1924(まさにショスタコーヴィチ18歳の年)ー1953年に最高指導者として君臨した最高指導者スターリンの下で、どれほど苦渋に満ちた創作活動を強いられたかを知っている私たちの耳には、悲劇の予感に満ちた音楽のようにも響く。
生前のマーラーは作曲家としても指揮者としても成功したキャリアを歩んだが、ユダヤ人ということで、ナチス党のヒトラー総統がドイツを率いた第二次世界大戦中はメンデルスゾーンらと並んで評価を下げられ、演奏機会も失った。ユダヤ系ハンガリー人のリゲティは親族の大半をナチスのホロコースト(大量殺戮)で失い、戦後もソ連によるハンガリー侵攻(ハンガリー動乱)で命からがら「西側」へ逃れた。ギリシャ人のクセナキスは大戦中の祖国ギリシャで反ナチスのレジスタンス(抵抗)運動に加わり、爆撃で顔の左半分を損傷、左眼球を失い、聴力の障害も残った。パリでコルビジェに弟子入り、建築から電子音楽に進んだ。
リゲティは2023年、クセナキスは2022年が生誕100年。戦争はもちろん独裁や人種差別などあらゆるコンフリクトを徹底して嫌い、糾弾し、独自の音楽語法を切り開いた点で、2人は基盤を共有する。「僕たちも皆さんも、戦争のない時代を生きてきました。今日、このようなことが起きた日に美しい《南国にて》を演奏したわけですが、もう1曲、シュトラウスの《南国のバラ》から少しだけ…」と井上は客席に語りかけ、凄絶なワルツを振った。穿った見方は承知の上だが、美しいウィーンのワルツを収容所の音楽家が奏で、同胞たちをガス室に送る〝拷問〟の史実を知る身としては、マエストロの強烈なメッセージに思えた。
3月末で8シーズン務めた常任指揮者を離れる川瀬と神奈川フィル、29年ぶりの東京公演は大成功。詳しくは「ぶらあぼ」オンラインにアップしたので、そちらをお読みください;
井上が東京フィルの定期を振る機会は珍しいが、エルガー(ヴィオラ首席、須田祥子のソロが冴える)は美麗、大井と井上が力の限りを尽くしたクセナキスは圧巻だった。コンクリート塊のように立ちはだかる管弦楽に、渾身の力で切り込むピアノ。抽象的サウンドの背後に、レジスタンスを思わせる強い意思を感じた。ショスタコーヴィチは最近の東京フィルといささか疎遠の作曲家らしく導師?井上の下、続くサントリーホール、オーチャードホールの定期でだんだん楽員に浸透していくものと期待したい。
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