東京都交響楽団第928回定期演奏会Bシリーズを2021年6月1日、サントリーホールで聴いた。終身名誉指揮者の小泉和裕(1949ー)はフランス近代の「祈り」をテーマにした2曲ーーオネゲルの「交響曲第3番《典礼風》」(1946)とフォーレの「レクイエム」(1900=第3稿)を組み合わせた。後半の声楽はソプラノ=中村恵里、バリトン=加耒徹、40人編成の新国立劇場合唱団(指揮=冨平恭平)が担った。コンサートマスターは矢部達哉。
都響のフランス近代音楽、とりわけフォーレの「レクイエム」といえば永久名誉指揮者ジャン・フルネ(1913ー2008)のイメージが強い上、その薫陶を受けた第3代音楽監督の若杉弘(1935ー2009)も好んで取り上げたので、1986年から様々な肩書きで一貫して都響と関わってきた小泉も、なかなか手がける機会がなかったと思われる。1973年にカラヤン国際指揮者コンクールに優勝して以来、常にカラヤン流の指揮スタイルを基本にドイツ音楽を究めてきた印象が強いが、古希(70歳)前後から「形」は変わらないまま、「心」の奥底に深く落ちる音楽の手応えが急激に増した。
明らかに第二次世界大戦への怒りを根底に、フォーレの「レクイエム」にはない「怒りの日(ディエス・イレ)」を第1楽章に置くオネゲルの後、フォーレを奏でることで1夜の物語が輪を結ぶ。「典礼風」第3楽章「我らに平安を与え給え(ドナ・ノビス・パーチェム)」の前半「ロボットの行進曲」が大音響とともに破滅、次第に静けさが戻り、鳥の鳴き声に希望を託す結末に至る場面の都響の演奏能力、小泉の集中力は「壮絶」の域に達していた。
加耒のSNSで「今度はフォーレの《レクイエム》の独唱です」の書き込みを見た瞬間、「間違いなくコロナ禍長期化で疲弊した人々の耳と心に、たまらなく優しく響く演奏になるのではないか」と察し、「今夜はどうしても聴きたい」と思いながらホールに向かった。ソーシャルディスタンシング(社会的距離の設定)で人数を絞り、舞台後方の「P席」いっぱいに広がった合唱団がオルガン(大木麻理)とともに歌い出す。訓練が行き届いたプロなので響きのソノリティ、発音の明瞭さとも全く問題ない。小泉と都響は安易なフルネ的アロマ(芳香)のコピーなどには目もくれず、2021年の今、私たちが感じ描く「祈り」の世界を深い隈取りとともに再現する。どこ1箇所も曖昧さがなく、全員が作品に奉仕する思いで一体化した。宗教音楽を得意とする加耒の美しく明晰はバリトンはもちろん、グランドオペラの世界的プリマドンナの中村が声の色艶やヴィブラートを抑制し、ボーイソプラノの思わせる音色とフレージングで様式を尊重する姿勢にも好感が持てた。事前の予想ーー優しく癒されるーーは半ば外れ、もっと剛直な祈りで再生や希望の力を授けた演奏に驚き、感謝する。
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