川崎市出身のピアニスト、小川典子はミューザ川崎シンフォニーホールのオープン前からアドバイザーを務め、自身の演奏だけでなく、子どもたちの教育プログラムの企画など幅広いコミットを続けてきた。開館15周年事業として2019年9月28日に行ったリサイタルは「ミューザと歩んだ15年」と題され、写真にある通り、センスの研ぎ澄まされた「名曲」プログラムで臨んだ。
モーツァルトの有名な「トルコ行進曲」付きソナタは2014年にブダペストで発見された自筆譜の一部に基づき、ヘンレが出版した新しい楽譜を使用。演奏を始める前に小川が従来版との変更箇所をピアノを弾きながら、丁寧に説明したのは良かった。楷書体で生気あふれる演奏を聴きながら、ここ何年か協奏曲の演奏ばかりを聴いてきたが、共演者に気をつかい、自身も極度に緊張するのか、大胆かつ細心の読みを施した小川の持ち味はソロ・リサイタルでこそ最大限に発揮されると、改めて思った。非常に見通しよく「わかりやすい」演奏ながら、キリッとした品格の芯が一本通っている。続くドビュッシー、「ピアノのために」でも作曲家独特の和声構造を示してから演奏、ヴィルトゥオージティ(名技)がフル回転した。
後半はまず、菅野由弘「《水の粒子》ピアノと明珍火箸のための」(2010)、ジョセフ・フィブス「NORIKOのためのセレナータ」(2018)と、小川が過去に世界初演した作品を解説の後に続けて弾いた。いずれも手の内に入ったレパートリーらしく、演奏がごく自然で説得力があるため、聴衆の現代曲への抵抗感も極小化された。最後のベートーヴェン、「熱情」ソナタは解説なしの一本勝負。今年のドイツツアーで弾き、解釈を練り上げたところでフランチャイズ(本拠)の舞台にかけたという意気込みを端々に感じる壮絶な演奏だった。多少の瑕(きず)をものともせず、一気にベートヴェンの核心に切り込み、高い頂上へとひた走る迫力に圧倒されつつ、音の美感を損なわないコントロール力には感心した。アンコールはリストの「ラ・カンパネラ」。美しく張りつめ、高揚感のある名演で締めくくった。
15年前と比べても、トークつきの公演が増えた昨今、ピアニストが私生活を延々と喋る場面に辟易するような経験もないわけではない。小川の解説はあくまで楽曲の構造、自分とその作品の関わり合い方に絞られ、プライバシーの切り売りは一切しない。喋りと休憩20分を含め、きっちり2時間に収める配慮も行き届き、すべてにプロフェッショナルだった。
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