• 池田卓夫 Takuo Ikeda

大瀧拓哉→阪田知樹→北村朋幹→牛田智大…ピアニスト4人を一気に聴いた真夏


左から日程順、北村だけは室内楽だ

気温35℃以上の猛暑日が続いた2020年8月最後の1週間、若い世代の日本人男性ピアニスト4人を立て続けに聴いた。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策で国外からの招聘がストップしたままのなか、日本人演奏家の水準の高さを再確認した人も多いはずだ。


1)大瀧拓哉(8月24日、東京文化会館小ホール)

シュトックハウゼン「ピアノ曲Ⅸ」、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第32番」、ジェフスキ「《不屈の民》変奏曲」

大瀧は新潟県立長岡高校から愛知芸術大学、シュトゥットガルト音楽大学、アンサンブル・モデルン・アカデミー(フランクフルト)、パリ国立高等音楽院…と進み、2016年に仏オルレアン国際ピアノコンクールで優勝、2019年に帰国した。リゲティの「エチュード」の名解釈者、トーマス・ヘルにも師事している。東京をスルーしてヨーロッパへ出たため知名度は低いが実力は第1級、今回のリサイタルも文化庁・日本演奏連盟主催「新進演奏家育成プロジェクト リサイタル・シリーズ TOKYO93」の文化庁委託事業の枠で実現した。


かなり〝屈折〟したベートーヴェン生誕250周年のプログラミングと読んだ。ドイツ音楽のある意味「終点」であるシュトックハウゼンには徹底してシャープな音像を与え、「古典」としての距離感を置く。逆に「起点」側のベートーヴェン最後のソナタでは未来志向の実験精神を強調、あえて形をつくらない。奏法も何故か日本伝来?のハイフィンガーに戻り、美しい音を意識的に避けていた〝確信犯〟の解釈は後半、ジェフスキで磨き抜かれた合理的奏法と多彩な音色を体験した後で一段とはっきり、知覚された。ヤマハCFXの音のポテンシャルを極限まで引き出して65分間、1度も緊張の糸が途切れなかった「不屈の民」は圧巻。万華鏡を思わせる音の世界でありながら、どこか人懐っこさを漂わせ、血を通わせていた。


2)阪田知樹(8月29日、横浜みなとみらい大ホール)

モーツァルト「ピアノ・ソナタ第5番K.283」、シューマン「交響的練習曲」、リスト「ピアノ・ソナタ」「ラ・カンパネラ」、チャイコフスキー(フェインベルク編曲)「交響曲第6番《悲愴》〜第3楽章スケルツォ」、クライスラー(ラフマニノフ編曲)「愛の悲しみ」、ショパン(バラキレフ編曲)「ピアノ協奏曲第1番〜第2楽章ロマンス」、ヴェルディ(リスト編曲)「リゴレット・パラフレーズ」、アンコール:シューベルト(リスト編曲)「万霊節の連禱」

阪田は「第二次世界大戦前までは比較的普通に行われていた」という3部構成をとり、第1部にモーツァルトとシューマン、第2部にリストの「ロ短調ソナタ」1本勝負、第3部にリストとロシア人作曲家による名曲の超絶技巧パラフレーズ集と、それぞれ明確な柱を立てた。それでも「長くなり過ぎないよう、カットではない工夫を施した」といい、モーツァルトでは繰り返しを省き、シューマンには遺作のパートを挿入しなかった。


モーツァルトはピリオド楽器の機能、18世紀の音楽様式を入念に考証した痕跡が明らかで明快なアーティキュレーション、強弱法と装飾音、何より適度の軽やかさを保ったのが素晴らしい。シューマンはロマンティックな部分をたっぷりと歌わせながら、モーツァルトからの優れたリズム感を維持、瞑想的な雰囲気も程よく加味されるバランス感覚に秀でていた。リストのソナタは「長く弾きこんできた」だけに弱音部での瞑想的雰囲気からクライマックスで放たれるパッション、狂気に至るまで緊張を維持し、間然とするところがない。リストのナハトムジーク(夜の音楽)の側面をきちんと意識した名演である。最後の「お楽しみ」パートは超絶技巧の大エクスヒビションを装いながら、創作の歴史におけるトランスクリプション(編曲・改変)の重要性も踏まえ、和声や音色など編曲者の「腕のみせどころ」をさりげなく強調するゆとりもみせた。日本の敗戦直後、焼土と化した東京に彗星のごとく現れドイツへと羽ばたいたヴィルトゥオーゾ(名手)、園田高弘の若き日々も「きっと、こんな感じで輝いていたのだろうな」という連想が充実の一夜の最後、ふと脳裏をよぎった。


3)北村朋幹(郷古廉=ヴァイオリン、横坂源=チェロとの三重奏、8月31日、横浜みなとみらい大ホール)

ヘンツェ「室内ソナタ」、ブラームス「ピアノ三重奏曲第1番」

横浜みなとみらいホールが主催する「みなとみらいクラシック・マチネ」シリーズは12時10分開演の第1部、14時30分開演の第2部それぞれが1時間前後。谷間の時間帯に「みなとみらい東急スクエア」内の対象店舗でランチをとれば、優待を受けられるタイアップ企画でもある。残念ながら、毎週月曜日午前は「Oisix」「生協palシステム」の食材宅配が来るまで身動きがとれず、第1部のフォーレ、ラヴェルのフランス音楽編は断念(涙)、第2部のドイツ音楽編だけを聴いた。自分で車を運転すれば、家から30分以内でホールに着く。


北村は14歳で第3回東京音楽コンクール・ピアノ部門で第1位、および全部門共通の審査員大賞(後にも先にも、この時だけの北村スペシャル)を授かった2005年、本選審査員の1人として底知れない可能性に驚嘆して以来、もう15年も聴き続けてきた。今回もパイプ椅子を2つ重ねた独自のポジションからベーゼンドルファーを自在に操り、桁外れの(音楽的感性における)運動神経の良さを発揮。楽曲全体の構造を見据えたアーティキュレーション、リズムの土台を適確につくり、弦の2人から即興性に富む音楽を淀みなく引き出す。ヘンツェでみせた3人それぞれの鋭い音感覚も素晴らしかったが、それぞれが等身大の「現在」を素直を歌い上げ、瑞々しい抒情をふりまいたブラームスも得難い。巨匠風とは全く違い、優しさが前面に出たのも「いまどきの男の子」ぽくって、素敵な後味を残した。


4)牛田智大(8月31日、サントリーホール)

J・S・バッハ「イタリア協奏曲」、ショパン「夜想曲第16番」「ピアノ・ソナタ第2番《葬送》」「ワルツ第5番」「ポロネーズ第6番《英雄》」「3つのマズルカ(作品56)」「幻想曲」「バラード第4番」「舟歌」、アンコール:ショパン「ワルツ第6番《子犬のワルツ》」

8月2日、中野翔太との2台ピアノでNHKホールで沖澤のどか指揮NHK交響楽団とサン=サーンス「組曲《動物の謝肉祭》」を共演した際に感じた危惧は、どうやら当たっていたようだ。8年前、「12歳の美少年ピアニスト」として華々しく売り出した当時のピュアな音楽性を自らかなぐり捨て、大人の音楽家に脱皮するための悪戦苦闘が演奏にも焦燥や迷走、音の混濁といった形で現れ、「しばらくは見守っていくしかない」と思った。大きなタオルを携えて始終、自身の顔と鍵盤上の汗を拭う姿もまた、落ち着きのない雰囲気を助長する。


バッハの「イタリア協奏曲」はピアニストのレパートリーに定着して久しく、何が何でもオリジナルのチェンバロで弾く必要はない半面、ピリオド楽器やその奏法への研究が大きく進展した現在、アーティキュレーションやフレージング、強弱法、右手の装飾音型などにはもっと洗練された様式感が求められる。多くのピアニストがノン・ペダルを採用するなか、あえてペダルを多用し、不必要な音の混濁を生む意図も理解しかねた。


ショパンでも予定調和の破壊に向かうと、フォルテッシモの異常な音塊(クラスター)が現れ、聴き手の思考まで停止する。とりわけ「ソナタ第2番」「《英雄》ポロネーズ」「バラード第4番」「舟歌」などの有名曲で、びっくりするような展開が何箇所かあった。たぶん聡明で柔軟性に富む人柄なのだろう、色々な先生の指導を忠実に受け入れ過ぎ「牛田自身の人格で一貫した解釈の醸成を阻んでいるのではないか」と思う。最も良かったのは「3つのマズルカ」。落ち着きを取り戻し、瑞々しい音色のなかからショパンの内面世界の喜怒哀楽あれこれが多面的に伝わり、牛田が深く共感する姿勢も顕著だった。とりわけ作品56の3(マズルカ第35番ハ短調)の演奏に深い感銘を受けた。ソナタなどでみせたドロドロの背後に「優等生ではない強烈で規格外の素顔」が潜んでいるとしたら、逆に、それをとことん顕在化させて、何皮かむける選択肢も残されている。しばらく悪戦苦闘、試行錯誤を続け、より確信をもったピアニストとして再度、私たちの前に現れる日を静かに待ちたい。

810回の閲覧

© 2018 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗

  • Facebook Social Icon
  • Twitter Social Icon