• 池田卓夫 Takuo Ikeda

品格ある「愛の音楽」、角田鋼亮の指揮


1986年にサントリーホールが開場する前、在京オーケストラの定期演奏会場はNHKホール使用の〝宿命〟を負ったNHK交響楽団を除き、東京文化会館大ホールが定番だった。オープン時点のサントリーホールは東京メトロ(当時は帝都高速度交通営団)の溜池山王、六本木一丁目両駅の開業前で、「どの駅からも遠い」と言われたなか、真っ先に定期公演の引越しに踏み切ったのが日本フィルハーモニー交響楽団である。


2011年3月11日の東日本大震災発生時、日本フィルは当時の首席指揮者アレクサンドル・ラザレフ(現桂冠指揮者兼芸術顧問)とともに同夜と翌日昼(土曜マチネ)の定期演奏会のゲネプロ(会場総練習)を始める寸前だった。未曾有の事態にもかかわらず定期を敢行、帰宅困難に陥った金曜日の聴衆と楽員の一部はホールで一夜をともにした。たまたま日程が同じダニエル・ハーディング指揮新日本フィルハーモニー交響楽団の定期(すみだトリフォニーホール)にNHKの収録チームが入っていたので、日本フィルの方は話題の影に隠れたが、翌日の公演を中止せず、4日後からの香港公演も予定通り行う過程でホールとの信頼関係は一段と強まった気がする(香港公演に自腹で同行、必死に書いた当時の拙稿は下記)。

https://www.nikkei.com/article/DGXBZO25539460U1A320C1000000/


2019年2月26日で3年目(2018ー19シーズン)の3公演を終えた「とっておきアフタヌーン」は、その日本フィルとサントリーホールが共催するシリーズだ。平日の午後に肩の凝らない名曲を並べ、若手演奏家の紹介も兼ねる。ホールの白川英伸副支配人によれば「在京オーケストラの定期に世界的指揮者、ソリストの登場が増えて競争が激化する反動で日本の若手の登場頻度が落ちているなら、ホールの側から『場を提供しましょう』との狙いもある」という。「Vol.9」の今回は東京藝術大学とベルリン芸術大学で学び目下、国内3つのオーケストラで「指揮者」のポストを持ち、4月にはその1つ、出身地名古屋のセントラル愛知交響楽団で常任指揮者に昇任する予定の角田鋼亮が指揮と選曲を担当。今シーズン3公演のナビゲーターと独唱を兼ねたバリトンの加耒徹、ヴァイオリンの成田達輝が共演した。


テーマは「ロマンをめぐる物語ーー〝愛〟」。幕開けでは1968年のフランコ・ゼッフィレッリ監督の名画「ロメオとジュリエット」のためにニーノ・ロータが作曲した音楽から、加耒が「テーマ」の部分を歌った。続いて成田がメンデルスゾーンのホ短調協奏曲を独奏。彼らしくスタイリッシュな仕上がりだったが、個人的にはもう少し、作曲家の内的葛藤の世界(メンデルスゾーンの実像はナチス政権が戦時中にユダヤ系作曲家否定のシンボルに挙げて染み付いた「小さな作曲家」のイメージとは全く異なり、芸術の深奥や自身のアイデンティティーに対し、激しく燃え上がる思いを内に秘めていた)に踏み込んでほしかった。今から13年前、14歳の成田が東京音楽コンクールのヴァイオリン部門で第1位を得たとき、本選審査員だった私は、彼が弾くプロコフィエフに「悪魔の楽器」の甦りを感じた。あの、粗削りながら、危険な領域へ怖れることなく飛び込んでいった少年の気概を懐かしいと思った。


成田は休憩前、加耒とのトークにも加わった。加耒は前週、二期会オペラ「金閣寺」の初日を風邪で降板(3日目は復帰)したので心配されたが、きちんと役目を果たし、ひと安心。少し頼りない語りくちがたぶん、母性本能をくすぐるのだろう。前回に引き続き「ロシア音楽おたく」ぶりを遺憾なく発揮、ラフマニノフやチャイコフスキーの管弦楽について熱く語り過ぎる傾向も何だか好感度抜群だ。「イケメンは得だ」と、場違いなおじさんは余計な嫉妬も覚える。成田も成田で「天然」ぶりに磨きがかかり、加耒がスポンサー(ホテルオークラ)のプレゼントであるフランス菓子の説明をすると突然、「実は母の実家が弘前市(青森県)の信栄堂といい、あんパンの元祖とされるパン屋さんなんです。お取り寄せもできますよ!」と親孝行トークを始めた。ネットで検索すると確かに明治13年創業、銀座の木村屋とは積年のライバル関係にあるようだ。 http://www.kawaguchi-anpan.com/


このマイペースがあれば周囲に流されず、自身のスタイルをとことん究めることも可能だと思い、1回の演奏の良し悪しで成田を語るのはやめようと観念した。全然脱線したにもかかわらず、結果として、妙に効果絶大なトークだった。



後半は角田が得意なオペラから、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲で始め、エルガーの「愛のあいさつ」、ラフマニノフの「交響曲第2番」から第3楽章、チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」に至るまで、角田自身がトークで述べたように「愛のイメージの選曲」が並んだ。ラフマニノフは前週の原田慶太楼指揮新日本フィルハーモニー交響楽団、チャイコフスキーは2週間前のテオドール・クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナと妙に生々しく、比較材料がそろっている。角田に際立つのは音色に対する独自の美意識、無駄なく引き締まった造型が組み合わさり、品格のある音楽を引き出す手腕である。原田のラフマニノフを光彩きらびやかな油彩画とすれば、角田は透明絵具を塗り重ね、柔らかく色合いを出す水彩画、あるいは白と黒で世界を描ききる水墨画の感じ。ナンバーオペラのように場面ごとのドラマの爆発に徹し、全体の起承転結に無頓着なクルレンツィスに比べれば、角田はドラマトゥルギー(作劇術)の設計でまさり、ごく自然にクライマックスへと導いていく。派手に売り出した指揮者ではないが、時間をかけて実力を蓄積してきたのは明らかで今後、40代以降の活躍が大いに期待できる。


残念だったのは日本フィルのコンディション。半月に及ぶ九州公演の疲れが出たのか降り番が多く、コンサートマスター(田之倉雅秋)をはじめとして、正団員以外のエキストラの比率が異様に高かった。結果がよければそれでいいのだが、やはり細かいところで、アンサンブルの危うい場面がいくつかあった。全体としては非常にリラックス、名曲と素直に向き合える好感度抜群の演奏会だっただけに、「マエストロと若手ソリスト」の組み合わせで臨む次のシーズンは、オーケストラの品質管理にも一層の入念を期すことを忘れないでほしい。










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