
過剰な装飾を排し、モダンで象徴的な背景を提供しつつ、音楽を決して邪魔しない控えめな演出、アリアでは正面を向き両手を広げて歌う歌手たち、基本を伴奏に置いた指揮……。藤原歌劇団が2020年2月1&2日、東京文化会館大ホールで上演した「リゴレット」(ヴェルディ)は徹底的に古風かつ王道のアプローチで、〝イタオペ〟の味わいを満喫させた。
私が観たのは2日。題名役は二期会から藤原に移った上江隼人、マントヴァ公爵は村上敏明、ジルダは光岡暁恵、スパラフチーレは豊嶋祐壹、マッダレーナは米谷朋子。管弦楽は柴田真郁指揮の日本フィルハーモニー交響楽団、演出は松本重孝だった。村上は上から下まで安定した発声で装飾音や最高音も難なく決め、テノールとしての絶頂期を思わせた。最近はより重い声の役を歌う機会も増えているが、マントヴァに必要な軽やかさをちゃんとキープしている。心理描写では、上江と光岡の父娘の深い情感、声楽的な洗練、言葉を語る力に大きな進境を実感した。光岡は昨年の「ランスへの旅」(ロッシーニ)あたりから演技力が格段に上がり、好不調の波が激しい上江も今回はベストフォームを示した。松本の演出は基本、交通整理に徹しているので歌手の力量がそのまま、視覚面の印象を左右する。メイン3人の貢献は大きかった。
日本フィルが藤原のピットに入るのは2017年の山田和樹指揮「カルメン」(ビゼー)以来3年ぶり。昨年の定期演奏会で桂冠指揮者・芸術顧問のアレクサンドル・ラザレフと「カヴァレリア・ルスティカーナ」(マスカーニ)を演奏したときにも思ったが、首席トランペット奏者のイタリア人オッタヴィアーノ・クリストフォリの血がオペラになると猛烈に騒ぐのか、輝かしい音色でオーケストラ全体を引っ張るかの趣があって、ピットでの演奏にも著しい改善を与えていた。柴田の指揮にはもう少し小規模の上演で触れ、声楽家出身の歌心、ぐいぐいと引っ張る推進力に感心した記憶がある。今回は大劇場でシンフォニーオーケストラの老舗を振り、日本を代表する名歌手(と言っていいキャリアが主役3人にはある)を相手にしたためか、管弦楽だけの部分の推進力と、歌に「つける」部分の慎重な運びとの間に齟齬があり、全体の流れを停滞させる結果を招いたのは残念だった。
それでも第3幕のリゴレット、ジルダ、マントヴァ、マッダレーナの4重唱からリゴレット、ジルダの悲劇的な二重唱の結末にかけての演奏は、日本人によるイタリア歌劇の再現として最高の水準に達していた。先週のフランクフルト市立劇場オペラの「トリスタンとイゾルデ」(ワーグナー)新演出上演を引き合いに出すまでもなく、欧米の常設歌劇場が専属歌手とスタッフを中心に初日の3か月くらい前から演出家、指揮者とともに稽古を進め、個々の演技とアンサンブルの密度を高めていく方式が、日本の民間団体ではなかなか難しい。だとしたら名歌手の個人プレーを上手に組み合わせ、ガラコンサートの土台に穏やかな演出を与えた今回の上演手法にも応分の存在意義がある。作品の魅力をストレートに伝えていた。
コメント