クラシックディスク・今月の3点(2019年9月)
「古沢淑子ふたたびーフランス近代歌曲集ー」
古沢淑子(ソプラノ)、井上二葉(ピアノ)
ドビュッシー生誕150年の2012年、「日経電子版」の「The Nikkei Style」で記事を作るのに際し、歌劇「ペレアスとメリザンド」日本初演(1958年)の実現に奔走、自らメリザンド役を担ったソプラノの古沢淑子(1916ー2001)のことをどうしても書きたくなった。
2002年2月、紙媒体の「日本経済新聞」文化面でピアニスト園田高弘(1928ー2004)の「私の履歴書」を連載(園田に対する延べ16時間のインタビューに基づく原稿を私が書き、園田が手を入れた)した際、ヨーロッパ留学中の恩人として作曲家で「毎日新聞」の欧州特派員なども務めた倉知緑郎夫妻の名が現れるが、倉知夫人こそが古沢だった。旧満州に生まれ、1937年に渡仏、パリ国立音楽院声楽科で学んだ。ドビュッシーと親交のあった指揮者で高齢の自身に代わり、若き日のジャン・フルネを「ペレアス」日本初演に送り込んだデジレ=エミール・アンゲレブレシュトが古沢を独唱に起用、フランス国立放送局管弦楽団と録音したドビュッシーの「選ばれし乙女」のCDを聴いたり評伝を読んだりして、パリの古沢が第1級の評価を得て、作曲家たちとじかに交流したことを遅ればせながら知った。
1952ー57年には日本へ帰国、東京と大阪にフランス歌曲研究会を設立して自身が歌い、後進の指導にも当たった。1961ー72年にはフランス音楽鑑賞会を東京・大森の古沢淑子スタジオで110回!にわたって主催。大田黒元雄や長岡輝子ら毎回多彩なゲストを交え、フランス音楽の精髄を伝えた。古沢の高弟だったバリトンの東學(ひがしさとる)がほぼ全回を録音、そのうち6回分からの音源を最新技術で修復したのが今回のCDでドビュッシー、ラヴェル、サティ、カプレ、スィリー、ベイツ、オーリック、カナル、プーランク、アーン、オーバン、ロザンタールと広範囲の作曲家のメロディー(歌曲)と、古沢の格調高いディクションの朗読を存分に堪能できる。ピアノは一貫して安川加寿子門下の井上二葉が担当、CDの解説書には井上へのインタビューも収められている。
今は失われた優雅で気品に満ち、凛とした佇まいの「教養」の美しさ、楽曲が生まれた時代の空気を存分に味わわせてくれる歴史的な音源である。
(ナミ・レコード)
「Mozart Live(モーツァルト・ライヴ)」
石田泰尚(ヴァイオリン)、中島剛(ピアノ)
神奈川フィルハーモニー管弦楽団の首席ソロ・コンサートマスターを務める石田はスポーツ刈りと派手なメガネの風貌、男性奏者だけを集めたアンサンブル「石田組」では「組長」と呼ばれることなどから、コワモテの印象が強い。実際は音楽と同僚たちへの愛情に満ちあふれ、優しく繊細な性根の持ち主だと知ったのは、ようやくインタビューの機会を得た、つい最近のことだ。だが、予感はあった。アポイントの数日前に届いたモーツァルトのソナタ集を聴き、鍵盤主導の「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」時代の様式感を踏まえ、ソロで前面に出るところ、オブリガートでピアノの背後にまわるところを実に適確に弾き分け、ピアノの中島との息もピッタリだったからだ。エゴを徹底して、コントロールできている。
取材の冒頭、このCDの話題を振ったときの驚きもまた、すごかった。「これは横浜市栄区民文化センター・リリスから年2回のペースで依頼されたリサイタルのライヴ盤なのですが、ホール側が『石田さんの好きな曲でいいです』と言ってくださったので、何にしようかと考えるうち、今までモーツァルトのソナタを1曲しか手がけていなかったことに思い至りました。せっかくならレパートリーにしようと考えましたが、なんせ曲を知らないので、選曲はホールに丸投げ。企画チームに加わっている作曲家の加藤昌則さんとも相談しながら、5曲ずつ2回で10曲のプログラムが決まったのです。逆にアンコールは2回とも、自分が好きなクライスラーの作品で統一しました」。初めて人前で披露するレパートリーで、ここまで見事なモーツァルトに仕上げ、「組長」に全く別の顔を与えたのだから恐れ入る。初挑戦が「レコード芸術」誌の月評セクションの中でも滅多に特選盤(2人の評者そろっての推薦)を出さないことで知られる室内楽部門のトップに紹介され、特選盤に輝いてしまった。
領主の求めなら何でも弾く、18世紀ヨーロッパの宮廷楽師に匹敵する究極の職人芸だ。
(フォンテック)
「大石哲史 萩京子をうたう…12才〜88才…うたかたのジャズ」
大石哲史(うた・ピアニカ・リコーダー)
服部真理子(ピアノ)、橋爪恵一(クラリネット)
長くオペラシアターこんにゃく座の看板役者を担ってきた大石は62裁の2017年、甲状腺癌の手術を受けて神経の一部にメスを入れ、声帯の半分が機能しなくなった。猛烈なリハビリテーションの末に「歌を取り戻した」結果、以前の朗々とした声ではなく、振り絞り、かすれ、噛んで含めて語りかける「別の声の出し方、別の表現の作り方」を獲得するに至った。
萩は今は亡き林光とともに座付作曲家を務め、現在はこんにゃく座の代表と音楽監督を兼ねる。多くがオペラの中で歌われてきた「ソング」の数々は単独で取り出し、歌うとき、何故か「ユーミン」(松任谷由実)登場以前のフォークソング系シンガーソングライターの素朴な心情吐露、情景描写に接近する。声を取り戻した大石は「萩京子のソングをこの頃猛烈に歌いたい」、そう思ったという。「ちょっと待てよ! 今まで考えてもみなかったけれど、それぞれのソングを、自分が歌うなら、何歳の自分になったつもりで歌うのだろう? あるいは、詩人は何歳の心で、その詩を書いたんだろう?……!」。大石は最後のシェイクスピア作詞(小田島雄志訳)の「フェステの歌」以外の24曲それぞれに、副題として考えうる推定年齢を記した。詩人の顔ぶれは寺山修司、まどみちお、金子みすゞ、ブレヒト、宮沢賢治、谷川俊太郎、石垣りん、ガルシア=ロルカ…と多彩だが、すべて日本語を通じ、萩と大石との心のコラボレーションに昇華している。
美声に恵まれながら何も考えず、何の印象も感動も与えず、日本語にも聴こえない歌を頻繁に聴かされている心身には、大石のヨレヨレながら強い意思をこめた「かたり歌」が、すご〜く沁みた。古沢淑子、石田泰尚ともども自身の「居場所」を正しく見つけ、ひたすらに精進する表現者の音楽は強い!と、改めて感じた。
(コジマ録音)
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