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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

北端祥人「独鍵盤音楽」源流から最先端


大ホールの喧騒とは無縁の世界

2021年11月11日の東京オペラシティ。コンサートホール(大ホール)は2021年ショパン国際音楽コンクール優勝のブルース・リュウ(シャオユー・リュウ)、リサイタルホール(小ホール)は北端祥人のピアノ・リサイタルが重なった。2人は2016年の第6回仙台国際音楽コンクールのピアノ部門に参加、北端が第3位、リュウが第4位という奇縁でもある。


北端は前半がJ・S・バッハ(BWV.912)とシューマン(作品7)それぞれの「トッカータ」とイェルク・ヴィトマンの「11のフモレスケ」、後半がブラームスの「ピアノ・ソナタ第3番作品5」、アンコールはシューマン「ダヴィッド同盟舞曲集作品6」から「柔らかく、歌うように(Zart und singend)」。ドイツの鍵盤音楽史の源流から爛熟期、最先端までを散りばめた意欲的プログラミングだ。ヴィトマンは今回が全曲の日本初演に当たる。


ピアノはホール備え付けのハンブルク・スタインウェイ。バッハはリズムの切れよく、ピアニスティックでいく分ロマンティックなアプローチをとり、ペダルも控え目ながら使った。疾走感は続くシューマンでさらに強まったが、打鍵の厚みも増し、18世紀音楽とロマン派の質感を描き分けた。ヴィトマン作品は2008年、イェフィム・ブロンフマンがニューヨークのカーネギーホールで世界初演。シューマン「7つのフモレスケ」へのオマージュの性格を帯び、シューマン風のリズムやメロディーだけでなく、ブラームスやリストの幻影が現れるが、同時代作品ならではの実験精神を体現した軋み、歪みも忘れない。終曲の「ユーモアと繊細さをもって」のタイトルを鵜呑みにすると、全曲中で最も強烈なフォルテがもたらす狂気に翻弄されるが、最後は余韻とともに、すべてが静寂の世界に消える。さすがに暗譜は無理で譜面を立て、夫人で同業者の守重結加がページターナー(譜めくり)を務めた。北端は深い理解と共感を示して緊張を保ち、全曲を一気に弾ききった。期待通り、当夜の白眉。


ブラームスも低音の構造を確実に踏まえ、しっかりした土台の上に情熱の発露や抒情に満ちた歌を紡いでいく。唯一、ブラームスの時だけ気になったのは、右手の打鍵が弱音になるとキラキラした輝きはともかく、左手に拮抗できるだけの芯が不足しがちになる現象。「よく聴こえるだけの重量感を伴った弱音」の改善、全曲を貫く根底のテンポ(グルントテンピ)の更なる維持あたりに、今後の課題をみたような気がした。アンコールのシューマンでは、右手の弱音が一転カチッとクリスタルに響いたので、あるいは超大曲のブラームスを弾くにあたっての緊張の裏返しだったのかもしれない。いずれにしてもプログラムに主張と物語があり、正攻法で高水準の再現を期待できるピアニストなので、長く聴き続けていきたい。



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