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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

分断の象徴=「壁」にベートーヴェンの普遍を引き寄せた深作版「フィデリオ」

更新日:2020年9月6日


ソーシャル・ディスタンシング徹底のフィナーレ(2日目組ゲネプロ)

東京二期会オペラ劇場、ベートーヴェン生誕250周年記念公演の「フィデリオ」の2日目組ゲネラールプローベ(2020年9月2日)、初日組プレミア本番(9月3日)を新国立劇場オペラパレスで観た。このオペラハウスに足を踏み入れるのは2月の劇場主催公演「セビリアの理髪師」(ロッシーニ)以来7か月ぶり。新国立劇場運営財団、日本オペラ振興会との共催公演につき合唱が二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部の混成となった。


演出の深作健太は2015年の「ダナエの愛」(R・シュトラウス)でオペラ演出に進出、2018年の「ローエングリン」(ワーグナー)に続く二期会オペラ第3作に「フィデリオ」を選んだ。指揮には当初、ピットに入る東京フィルハーモニー交響楽団の桂冠指揮者ダン・エッティンガーを予定していたが(イスラエル人指揮者なので、演出内容を考えるとかなりスリリングな人選だった)、日本政府の渡航制限を受け、大植英次に替わった。大植も二期会登場は3度目だが、前2回はオペレッタ(2013年=J・シュトラウス「こうもり」、2019年=オッフェンバック「天国と地獄」)だったから、本格オペラの指揮は初めてだ。


深作演出は第二次世界大戦終結75周年と作曲家の生誕250周年が重なった点に着目。戦争中のドイツ・ナチス政権によるユダヤ人ホロコースト(大量殺戮)の現場「アウシュヴィッツ強制収容所」(現ポーランド)に始まり、戦後の東西冷戦とドイツ分断、「ベルリンの壁」の構築と崩壊、ニューヨークのワールドトレードセンター破壊の同時多発テロ、イスラエルによる西岸地区「分離壁」の建設、トランプ米大統領がメキシコとの国境に築いた壁、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策のソーシャル・ディスタンシング(社会的距離の設定)に至るまで、人類分断(Trennung)の象徴である壁(Mauer)の歴史に、ベートーヴェンが「フィデリオ」へこめた普遍のメッセージを重ね合わせた。巨匠映画監督を父に持ち、自身も映画制作や舞台演出を手がけてきた深作はオペラ演出へと歩を進めるに当たり、映像の使用を前2作では封印した。今回の「フィデリオ」はCOVID-19対策でソリスト、合唱団員の「密」回避によって生じる舞台の空白を「埋める必要に迫られて」の受け身にとどまらず、20世紀半ばから21世紀初頭の世界史を「生々しく振り返ろう」の強い意思とともに、映像を大々的に解禁したものと思われる。リアリティへのこだわりも強く、装置担当の松井るみは深作から、それぞれの壁のサイズを「原寸大」とするように厳命されたという。


映像を生かすための紗幕は、飛沫の「壁」としても機能。キャストも合唱も装置も映像と一体化して、一編のドキュメンタリー映画を生演奏とともに観ている錯覚をもたらす。最近の例では、舞台全体をアニメーション・フィルムの中に包み込み、生身の歌手は補助的な動きに徹するバリー・コスキー演出、コーミッシェオーパー・ベルリンの「魔笛」(モーツァルト=2018年に日本公演)にも似た、ムジークテアーター(音楽劇場)志向の舞台設定だ。


ナチスがアウシュヴィッツに掲げた悪名高い標語「働けば自由になる(ARBEIT MACHT FREI)」の末尾に深作は「?」を追加。最後は「F」が大活躍、「自由(Freiheit)」の大団円に至る。「F」は自由だけでなく「フィデリオ」、さらにレオノーレの夫フロレスタンの頭文字でもある。産業革命以後のヨーロッパに現れた貴族でも農民でもない第3の市民階層、ブルジョワジー(富裕市民層)を生み、ベートーヴェンも新しい思想や哲学に触れながら貴族オンリーのスポンサーシップから一歩踏み出し、音楽史上最初のフリーランス作曲家の1人となった。自由とは紛争や対立、分断などの「壁」が完全に取り払われ、平等や博愛の「連帯(Solidarität)」を伴って初めて謳歌できるものである。モーツァルトの「魔笛」もベートーヴェンの「フィデリオ」も、「すべてが自由で調和した世界」のユートピア(理想郷)目がけて書かれたオペラだった。時代読み替えで何箇所か台本とビジュアルのズレが生じるが、理念を共有しているから気にならない。


1989年11月9日に「ベルリンの壁」が崩れた直後のクリスマス、レナード・バーンスタインが関係の深い世界6つのオーケストラから楽員を集め、ベルリンのシャウシュピールハウス(現コンツェルトハウス)でベートーヴェンの「交響曲第9番《合唱付》」を指揮した。第4楽章に現れるシラーの詩「歓喜に寄す」の「喜び(Freude)」をバーンスタインが「自由(Freiheit)」に差し替えるアイデアを授かった瞬間に、弟子の大植英次は「遭遇した」と二期会のプログラムに載ったインタビュー(P.38)で明かす。「フィデリオ」もウィーン・フィルと録音した名盤(ドイッチェ・グラモフォン)が証明する通り、バーンスタインの〝勝負曲〟だった。2005年のバイロイト音楽祭、初の東洋人指揮者として現れ「トリスタンとイゾルデ」を指揮したのが吉と出たのか凶と出たのか、以後、米国で華々しく売り出したころとは全く異なる世界に身を置いてきた大植だが、「フィデリオ」の指揮は久々に良かった。ニコラウス・アーノンクールから直接、「フィデリオ」での「柔らかなスタッカート」「レチタティーヴォの自由なテンポ」などについて意見を聞いた経験も踏まえ、柔らかく叙情的、登場人物の心理に即した柔軟な棒さばきで、深作の意図に隙なく寄り添った。東京フィルも2014年の「創立100周年記念ワールドツアー」で大植との関係を深め、様々な〝傾向と対策〟も備えているのだろう、自発性と熱気に富む演奏で聴き応えがあった。


残念ながら、あるいは、当然ながら、それぞれのキャストの凸凹はあり、長い自宅待機後のコンディション立て直しの難しさも痛感した。中ではフロレスタン2人(福井敬、小原啓楼)、ロッコの妻屋秀和、ヤッキーノ2人(松原友、菅野敦)、レオノーレの木下美穂子の歌唱が光った。もう1人のレオノーレ、イタリア在住で今回が二期会本公演の主役デビューだった土屋優子は、ドラマティック・ソプラノの豊麗な声の素材で傑出していた半面、つねに母音が響き過ぎ子音の立たないドイツ語の発音、おそらくそれに気を取られ過ぎて揺れる音程が気になった。プログラム最終ページ(P.56)には1977年、1981年、1994年に上演した過去の「フィデリオ」のキャストが載っている。マルツェリーネは「ルチア」の圧倒的歌唱でサントリー音楽賞を受けた常森寿子(1977)、日本人で初めてバイロイト音楽祭のソロを担った河原洋子(1981)、ハンブルク州立歌劇場日本公演「魔笛」の夜の女王役をピンチヒッターで引き受け一躍スターになった釜洞祐子(1994)と歴代、かなり強力なコロラトゥーラ・ソプラノが担当。1994年にダブルで歌った澤畑恵美も「椿姫」の主役ヴィオレッタをこなすリリック・ソプラノだ。今回、かなり声の軽い2人をマルツェリーネに起用した理由だけは最後まで、良くわからなかった。ソロはか細く、重唱は周囲に埋もれ、オーケストラにもかき消されるので、キャラクターが全く浮かび上がらない点には参った。


COVID-19のために劇場通いはおろか、外出自体を控えてきた人々はオペラに飢えていた。最初は戸惑いがちだった拍手が次第に熱を帯び、幕切れでは「ブラヴォー」こそ自粛したものの、明らかに大きな感動を意思表示する音量に達した。合唱団がマスクを外し、ソリストともども究極のディスタンシングで最後のナンバーを歌う間に照明がどんどん明るくなり、舞台右奥の緑色の非常誘導灯が点く。現時点の世界の人々が何よりも望む「自由な日常」の回復に向けた制作チーム、演奏者全員のエール、メッセージはしかと伝わったと確信する。第二次世界大戦末期の爆撃で瓦礫と化したウィーン国立歌劇場が元通り再建された1955年11月5日、カール・ベームが指揮したオペラが「フィデリオ」だった史実を思い出した。戦争や災害その他、悲劇からの人類再生に際し、ベートーヴェンの音楽は最高の価値を放つ。


プログラムに収められたエッセイ「人類の壁」(P.33)の筆者、森千春さん(「読売新聞」論説委員)は同年齢の同業者。私が1988−1992年に「日本経済新聞」フランクフルト支局長として駐在していた時期、森さんもベルリン特派員を務めていた。「ベルリンの壁」崩壊から旧東西ドイツの統一、旧ソ連崩壊、東西冷戦終結までをともに現地取材。ベルリンに長期出張で滞在するたび森さんとも出くわしたので、今回の玉稿を懐かしい気持ちで拝読した。

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