• 池田卓夫 Takuo Ikeda

出来立てほやほや、湯気が立つかの様な「ディアベリ」を弾いたトーマス・ヘル


コロナ禍で2度延期され、3度目の正直

先ずはトッパンホールのホームページから、トーマス・ヘルのプロフィールを引用する:


ドイツ・ハンブルク生まれ。ハノーファー国立音楽演劇大学でデビッド・ワイルドに師事。国家演奏家資格課程を最優秀で卒業。同時にピアノ教育学、作曲、音楽理論のディプロムも最優秀で取得。また、芸術的に重要な薫陶をエリカ・ハーゼ、コンラート・ハンゼン、クラウス・ヘルヴィヒ、ギュンター・ルートヴィヒ、コレット・ツェラらから受ける。1996年オルレアン国際ピアノコンクール第1位ほか多くの国際コンクールで入賞。15歳から数々のオーケストラと共演するほか、ヨーロッパ各国の主要な国際音楽祭にも数多く出演。古典から現代音楽までレパートリーは幅広く、とりわけ、リゲティ、カーター、シェーンベルク、ダッラピッコラ、アイヴズ、ブーレーズといった現代音楽を得意としている。


2008年のダルムシュタット国際現代音楽夏期講習会では、リゲティの《ピアノのためのエチュード》全18曲を演奏し聴衆を大いに沸かせ、リゲティと親交の深かったクルタークからも絶賛された。日本では、10年11月に東京の音楽祭「テッセラの秋」で、原田敬子の《4つの手》I-IIIを世界初演。リゲティの《エチュード》全曲も披露し、話題を呼ぶ。室内楽においても、ヨーロッパ各地の名高いホールに出演しているほか、現代音楽のためのアンサンブルピアニストとしても活動。


CD録音も多く、2000年レーガーの《バッハ変奏曲》とシューマンの《フモレスケ》のCDを、11年にはエイドリアン・エイドラムとの共演で「バルトーク:ヴァイオリン・ソナタ集」(TACET)をリリース。09年には、シェーンベルクの弟子シュトイアーマンの組曲5曲を収録したCDでドイツ・レコード評論家大賞を受賞している。カメラータ・フレーデンと共演した「コルンゴルト:ピアノ五重奏曲」は、12年ドイツ・レコード評論家賞を受賞。同年リリースしたリゲティ《エチュード》全曲のCD(WERGO)は、『レコード芸術』誌で特選盤に選定された。16年にはアイヴズの《コンコード・ソナタ》をリリース、絶賛を博した。


国内外にて、精力的にマスタークラスや演奏を交えた作品解釈の講演を行っており、01年よりハノーファー国立音楽演劇大学、11年よりシュトゥットガルト国立音楽芸術大学で教鞭をとっていたが、16年にマインツ音楽大学のピアノ科および室内楽科教授に就任した。


トッパンホールには、16年6月のリゲティ《エチュード》全曲演奏で初登場。18年4月にはシューマン《クライスレリアーナ》とアイヴズ《コンコード・ソナタ》を披露し、鮮烈な印象を残した。

                   ☆ ☆ ☆


私は2010年、ピアニストの廻由美子が企画する東京・三軒茶屋の小さな音楽祭でヘルの演奏を初めて聴いた。しかも、リゲティの「エチュード」全曲! これについて触れた過去の拙稿も貼り付ける;

https://style.nikkei.com/article/DGXBZO51198830R30C13A1000000?page=2

さらに2016年5月27日、すみだトリフォニーホーで下野竜也指揮新日本フィルハーモニー交響楽団と矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」を独奏するのも聴き、同じく素晴らしいと思った。


「トーマス・ヘルには同時代音楽だけでなく、古典も存分に弾いてもらいたい」ーートッパンホールのプログラミング・ディレクター、西巻正史氏の思いは多くの人が共有してきた。コロナ禍で2度の延期を経て2022年8月19日、ついに実現したヘルのリサイタルでは俗に「ウィーン古典派」と呼ばれるハイドン、ベートーヴェンの大ぶりの変奏曲が対峙し、両者の間に権代敦彦の2011年、矢代秋雄の1961年と半世紀を隔てた日本人作品が入った。


余計な思い入れを排し、楽曲の構造、背後にこめられたハイドンの意図が驚くほど鮮明に浮かび上がった「アンダンテと変奏曲」。2011年に楽譜出版社のショットが開始、「舞踊・ダンス」をテーマにした新作を契約作曲家たちに委嘱する「ペトルーシュカ・プロジェクト」の1曲という権代作品、すでに「古典」の評価を確立した矢代作品のそれぞれを克明に再現するのはもちろん、作曲者がこっそり仕掛けたユーモアや過去の名曲の残像まで明快に浮かび上がらせ、前半は改めて、「解像度の高いピアニスト」を印象づけた。


後半の「ディアベリ変奏曲」では解像度を通り越し、今そこで、ベートーヴェンが1つ1つの変奏を書いてはヘルにパス、そのまんま現代のスタインウェーで再現するかのような「真のライヴ感」に圧倒された。いつもはただ、モーツァルトのパロディーみたいに響く第22変奏(「ドン・ジョヴァンニ」からの引用)も極めて斬新、出来立てホヤホヤの湯気が立つ鮮烈な音楽の生命にあふれる。時には「もう少し、遊んでいいのでは?」と思わせもするのだが、とにかく、ルートヴィヒ先生とヘルとの抜き差しならない〝撃ち合い〟に息をのみ、唖然とし続けるうちに最後の(第33)変奏に至り、終結の和音が着地した時は(もちろん良い意味で)心底ホッとした。


アンコールは再び矢代秋雄。ピアノ連弾のために作曲した小品「夢の舟」をピアニストの岡田博美が編曲したソロヴァージョンはどこまでも優しく温かく、ヘルの人柄も伝えていた。




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