ベルクの「ルル」は未完にもかかわらず、世界で頻繁に上演される人気オペラだ。自分も2003年の日生劇場&二期会による日本初演(佐藤信演出・3幕完成版)に始まり、2004年の新国立劇場(デイヴィッド・パウントニー演出・2幕版)、2009年のびわ湖ホール(佐藤信演出・3幕版)のすべてを鑑賞。ドイツのバイエルン州立歌劇場でもデイヴィッド・オールデン演出の3幕版を観たことがある。それでも何か、もどかしさを覚えてきた。
二期会は2020年に17年ぶりの再演を決め、すでに4作品で共演したオーストリア人女性カロリーネ・グルーバーに新演出を依頼した。昨年2月にカロリーネが日本に現れた折、コンセプトを語る記者会見が開かれ、「たいていの女性は、モンスターのように描かれるルルを嫌いなのではないか」と質問してみた。公演プログラムに載ったカロリーネのレクチャー抜粋に出てくる「日本の新聞記者」とは、私だ。とにかく「女性の視点から解釈したルル像」に興味があり、それが長年の「もどかしさ」を解消するきっかけになるとの読み筋だった。
夏の公演は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界拡大(パンデミック)で1年延期され、会場は東京文化会館大ホールから新宿文化センターに替わった。これは結果的に、怪我の功名だった。濃密な密室心理劇の味わい、何をどうやろうと漂う猥雑なストーリーを生々しく体験し、映画館の座付きオーケストラみたいに高めのピットで所狭しと楽員が並ぶ光景とともに鑑賞する中で、新宿文化センターが持つ「B級王道」的存在感を再認識した。キャストも「さらに1年」の準備期間を与えられたことでキャラクターの掘り下げ、ドイツ語の読み込み、十分な音楽稽古を積み、来日後14日間の隔離を経て合流したカロリーネ、指揮者マキシム・パスカルとみっちり、オリジナルのプロダクションを練り上げることができた。すでに二期会の歌手たちと気心の通じている両者はキャスト1人1人の個性を十分に引き出し、隙のないアンサンブルへと導いた。個人レベルの発音・発声だけでなく、重唱やアンサンブルでの音程感覚の一致、精妙な和声感に至るまで、今回の歌唱水準は高かった。
カロリーネが描くルルは〝山ほどある〟不幸の果てに多種多様な男性の〝道具〟として扱われて心を閉ざした、あるいは心の意味を測りかねる繊細な女性で、内に隠された魂の部分をドッペルゲンガーのようなダンサー(中村蓉が好演!)が演じる。さらに道具の象徴であるマネキンが舞台のあちこちに置かれる。第2幕でルルが脱獄してアルヴァと再会する場面、「Freiheit(フライハイト=自由)」の絶叫はコロナ禍長期化で疲弊する世界の人々全員が憧れる「Befreiung(ベフライウング=解放)」の瞬間への渇望と重なり深く胸を打った。
2021年8月31日(千秋楽)のキャストはルル=森谷真理(ソプラノ)、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢=増田弥生(メゾソプラノ)、劇場の衣装係&ギムナジウムの学生=郷家暁子(メゾソプラノ)、医事顧問=加賀清孝(バリトン)、画家=高野二郎(テノール)、シェーン博士=加耒徹(バリトン)、アルヴァ=前川健生(テノール)、シゴルヒ=山下浩司(バス・バリトン)、猛獣使い&力業師=北川辰彦(バス・バリトン)、公爵&従僕=高田正人(テノール)、劇場支配人=畠山茂(バス・バリトン)。二期会を辞める森谷にとって最後の主演は堂々の存在感、強じんな声で有終の美を飾った。MVPのトロフィーは、わずか1か月前の代役起用にもかかわらず、ドイツ歌曲(リート)や宗教曲で鍛え上げたドイツ語さばきと深い解釈で「まだ十分に色気があるシェーン博士」を演じ切った加耒、高音の輝きとドイツ語の発音、演技の精確さのすべてにおいて長足どころか驚異の進境をみせた前川のどちらに差し出すべきか、大いに悩むほどだ。ゲシュヴィッツ増田の凛とした品格、ダイエットも実行して役になり切った北川をはじめ、脇を固める歌手たちもそれぞれ強い印象を残した。
パスカルが指揮する東京フィルハーモニー交響楽団(コンサートマスター=依田真宣)は6型(第1ヴァイオリン6人)とベルクには異例の小ぶりの編成ながら、「映画館のオーケストラ」と上述したように、場面の進行や登場人物のキャラクターに合わせ、変幻自在のサウンドを繰り出す。まだ30代初め、現代音楽も得意とするフランス人指揮者にとって、ベルクのスコアは難解でも制御困難でもなく、ただただ美しく魅力的に映るのだろう。細かく振るよりも全身の動作で場面ごとのニュアンスを丁寧に伝え、柔らかく全体を包み込む。無調、不協和音の連続などの「知識」が邪魔をする壁が自然に取り払われ、意外なほどキッチュな素材も引用したベルクの〝遊び心〟のようなものまで聴こえてきて、とても豊かに響いた。
すべての条件が奇跡のタイミングで一線にそろい、ドイツ歌劇を基盤に強固なアンサンブル重視の上演を重ねてきた二期会の70年近い伝統を、久々に実感できる舞台だった。
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