• 池田卓夫 Takuo Ikeda

伊藤憲孝「西日本豪雨被害チャリティーコンサート」@福山(広島県)


伊藤憲孝は広島県尾道市出身、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学などでミヒャエル・エンドレスらに師事した後に帰国。福山平成大学准教授、母校のエリザベト音楽大学大学院非常勤講師として教育に携わる一方、いまや国際的作曲家となった酒井健治の日本初の個展を音楽仲間たちと広島市内で実現するなど、同時代の作品に柱を置いた演奏活動を続けている中堅ピアニストだ。今年(2018年)8月に自身の40歳を祝った前月、広島県をはじめとする西日本各地で続いた豪雨の被害、犠牲に心をいためて11月16日、福山市のサロン「とおり町交流館」に気心の知れた老若男女60人を集め、チャリティーコンサートを開いた。

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私と伊藤は10年前の2008年、国内の優秀なクラシック音楽録音盤の制作費を補助する企画の審査員vs応募者の関係で知り合った。ベートーヴェン〜リスト編「交響曲第7番ピアノソロ版」と、その第2楽章の主題に基づくJ・コリリアーノの「幻想曲」を組み合わせた斬新なアルバムを「地方在住の無名の若いピアニスト」(失礼!)がいきなり出してきたことに驚くとともに、私が「音楽の友」誌での定期執筆(批評「広島の演奏会から」の初代筆者)を始めた思い出の旧任地から出現した新たな才能に強い興味を覚えた。後日、九州出張の途上で広島に立ち寄り、伊藤を呼び出したのが初対面だった。その2年後、埼玉県出身でドレスデン音楽大学のペーター・レーゼル教授に師事した髙橋望を伊藤と引き合わせ、シューベルトの「幻想曲」から始める1台ピアノ4手連弾のユニット「ザ・ロンターノ」を立ち上げた。ロンターノを通じても酒井健治、高橋渓太郎に新作を委嘱、世界初演を続けてきた。


伊藤と知り合って10年の節目。1人のピアニストが一切の売名を排し、ごく親しい人々と故郷の被災地のために立ち上がり、音楽の真摯なメッセージを発信する現場には、ぜひとも立ち会いたかった。趣旨は画像を貼り付けた伊藤のメッセージを、お読みいただきたい。小さい子どももいるので、休憩なし1時間のハーフリサイタルを自身の解説付きで進めた。



冒頭、伊藤はJ・S・バッハ「平均律クラヴィーア曲集」第1巻の「前奏曲」第1番をうんとロマンティックに弾いた後、フーガではなく「西日本豪雨災害犠牲者に捧げる即興演奏」を献奏、拍手なしでいったん退席した。次いでドビュッシーの「前奏曲集第1巻」から「沈める寺」、リストの「3つの演奏会用練習曲」から「ため息」を弾いた。ドビュッシーの没後100周年には察しがついても、リストが今日的な意味におけるチャリティーコンサートの創始者だった背景を知る人は少ないだろう。1838年にドナウ川が氾濫したとき、リストはブダペストでチャリティーコンサートを開き、多額の義援金を寄付した。


後半は聴きごたえのあるもの、ということでムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」。かつて伊藤が同曲のCD録音を考え、西武線の車内で相談をもちかけられたとき、とっさに「試しにディスクではなくiTunesでリリースしてみたら?」と提案した。実行したところ、ポーランドや南米など「自分が弾きにいったことのない国」でもダウンロードされ、「展覧会の絵おたく」が運営する「世界の全録音リスト」のサイトに伊藤の名前が載った。ロック少年&F1レースマニアの伊藤のタッチは俊敏でアーティキュレーション明快、スポーティーなコーナリングを思わせるフレージングにふんだんの現代感覚を漂わせる。iTunesの「展覧会の絵」も、そうしたピアニズムの魅力にあふれた演奏だった。7年あまりを経た今回は被災地支援・犠牲者追悼の深い思いをこめ、ムソルグスキーが友人で急逝した画家ガルトマンの遺作展を訪れた際の印象に基づき作曲した原点に、より近づいた解釈に変化していた。



鳴り止まない拍手を受け、アンコールに再び、冒頭のJ・S・バッハ「平均律」の前奏曲。今度は18世紀音楽の方向に引き戻して弾いた後、さらに1曲、シューマンの「予言の鳥」をサービスした。恐ろしく繊細な「鳥」の響きを聴きながら、「本当はこの人、かなり変わった感覚の持ち主なのではないか?」と、すでに長年の付き合いがあるピアニストの潜在能力の奥行きにさらなる好奇心をかき立てられ、「わざわざ聴きに来てよかった」と思った。


深夜に着信した伊藤からのメッセージによれば、51枚のチケット収入10万2千円と特別価格2千円で販売したCD9枚の売り上げ1万8千円、さらに寄付3万円の合計で15万円が集まり、11月19日の月曜日に日本赤十字社の「平成30年7月豪雨災害義援金」宛て送金することになったという。地に足のついた音楽活動とは、このような積み重ねを指すのだろう。



© 2018 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗

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