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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

五嶋みどり・神尾真由子・バッティストーニ&東京フィル

クラシックディスク・今月の3点(2020年11月)


ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」「ロマンス第1&2番」

五嶋みどり(ヴァイオリン)、ルツェルン祝祭弦楽合奏団、ダニエル・ドッズ(リーダー)

ベートーヴェン生誕250周年に合わせ、様々なヴァイオリニストが実演や録音を通じ、ニ長調の協奏曲とロマンス、あるいはピアノとのデュオ・ソナタに挑んでいる。新録音では何故かピアノ三重奏曲、弦楽三重奏曲より、協奏曲の人気が高い(弦楽四重奏曲はソロ・ヴァイオリニストがちょろっと臨時編成で手がけるレパートリーではない)。協奏曲の場合はもちろん、指揮者とオーケストラも録音のクオリティを左右する。最近もある若手がとても有名なマエストロと共演した新譜を聴き、管弦楽の響きやフレージングに生理的な違和感を覚えたばかりだった。孤高の世界を確立して久しいMIDORIが満を持して協奏曲の初録音を世に問うとすれば、指揮者は誰?オーケストラはどこ?と思っていたら、スイスのルツェルンのアンサンブルで指揮者なし、コンサートマスターのリードという意表を突く録音が現れた。


本来は2020年2月末にルツェルンでコンサートとレコーディングを済ませ、アジア・ツアーに出かけるプロジェクトだった。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大で先ずツアーがキャンセルされ、演奏会まで48時間を切った段階でスイス政府が中止を決定、録音の許可だけが下りたという。「どのような目的であれ、演奏家が一堂に会し、協調しつつ充実した演奏をすることは当分望めそうもないので、このレコーディングは〝ラストチャンス〟を逃すまい、そんな切羽詰まった緊張との闘いであったというのは決して誇張ではありません」と、五嶋は自ら執筆したライナーノートの中で明かす。


「無事完結できたのは、私と私の仲間がベートーヴェンにならい、彼の作品に感銘を受け、おのずと集中力が高まり、冷静に感情表現をまとめられたからだと感じます」と振り返る通り、全員の気持ちが一つにまとまり、ごくごく自然な佇まいの中で淡々と音楽に浸り、どこにも無理と無駄のない質実な表現で一貫する。「いかなる人間にも最高峰を目指して達成しようとするならば、前途に立ちはだかる途方もない困難や葛藤にも勝る持続する潜在能力がある」と、五嶋たちは今回、ベートーヴェンから〝教わった〟のだという。その言葉を全く裏切らない演奏だ。

(ワーナーミュージック)


J・S・バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ全曲(第1−3番)」

神尾真由子(ヴァイオリン)

神尾初のバッハ無伴奏アルバムもまた、「COVID-19の2020年」が音楽にもたらした奇跡の瞬間の記録となった。柴田克彦氏のライナーノートによれば、神尾は「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲に学習時代から親しみ、コンクールでも弾いてきたが、「特別な作品ですから、それにふさわしい態勢で臨むべきだと考えています」といい、リサイタルでは「あまり取り上げたことがありません」と2015年時点で語っていた。ロシア人ピアニストと結婚して出産、サンクトペテルブルクに本拠を移すといった人生の年輪を刻んで心境に変化が生じたのか、今年の日本では「無伴奏パルティータ」3曲のツアーを組んだ。ところがCOVID-19の拡大で次々と延期、中止が決まり、6月22−23日に押さえていた浜離宮朝日ホールの日程を急きょ、レコーディングに振り向けたのだった。


録音を担当したスタッフの話では「あえて細かな編集をせず、ライヴの一発録りに近いセッションに徹した」そうで、異様なまでの生々しさがある。神尾は「バロック音楽だから、必要以上に重く弾いてはいけない」と自らを戒め、それぞれの楽章の舞曲の特徴を際立たせながら、リズムを明確に刻む。2007年のチャイコフスキー国際音楽コンクール優勝者の名に恥じない傑出したメカニックで1713年製ストラディヴァリウスの銘器「Rubinoff」を鳴らしきり、汗の痕跡を全く残さないクールな感触は、往年のヤッシャ・ハイフェッツに連なる破格のヴィルトゥオーゾの名に値する。何年か後には「神尾のターニングポイントとなった名盤」と、振り返られることだろう。録音も超優秀。

(ソニーミュージック)


BEYOND THE STANDARD 5

スメタナ「連作交響詩《我が祖国》から第2曲《モルダウ》」/シベリウス「交響詩《フィンランディア》」/ムソルグスキー「交響詩《はげ山の一夜》」/ワーグナー「楽劇《ワルキューレ》より《ワルキューレの騎行》」/デ・ファリャ「バレエ音楽《恋は魔術師》から《火祭りの踊り》」/バーンスタイン「《キャンディード》序曲」/外山雄三《管弦楽のためのラプソディー》/バッティストーニ《エラン・ヴィタール》

アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルハーモニー交響楽団 東京フィルと首席指揮者の若いイタリア人バッティストーニの組み合わせで西洋の名曲、日本のスタンダードを1枚にまとめたアルバムを5点制作するーー日本コロムビアが「ビヨンド・ザ・スタンダード(定番を超えて)」と名付けたシリーズの完結編は「新世界から」「悲愴」「運命」「幻想交響曲」とヨーロッパの交響曲に、伊福部昭、武満徹、吉松隆、黛敏郎のがっちりした管弦楽曲を真正面から向き合わせた前4作と違い、世界の小品集の趣がある。現存する作曲家は89歳の外山雄三と33歳のバッティストーニ、いずれも指揮者だ。


全身を使ったエネルギッシュなリードで「爆演指揮者」と誤解されがちなバッティストーニだが、幼少期から文学に傾倒し、指揮の前にチェロと作曲も学んでいるので譜読みは物理的な音符の処理を超えた深い眼差しを伴う。先輩指揮者たちが慣習的に行っていたテンポ設定や和声処理にも容赦なく批判を加え、「これこそが私たちの時代の解釈のスタンダードだ」というところまで、楽曲を追いつめる。《モルダウ》《フィンランディア》《はげ山の一夜》といったロシア・東欧・北欧の音楽がキラキラ、新しい輝きを放つ様は面白い。日本人指揮者が振ると〝照れ〟が出て素っ気なく演奏されがちな外山の《ラプソディ》も、オーケストラを鳴らし切るスコアを書ける作曲家の音楽として隅々まで丁寧に再現している。自作は可もなく不可もなしの印象を否めないが、外山作品との「音による世代間ギャップ」をはっきり示しているのが興味深い。片山杜秀氏執筆の破格に膨大なライナーノートも読み応えがあり、シリーズの締め括りにふさいわしい個性的ディスクが誕生した。

(日本コロムビア)



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