第21回別府アルゲリッチ音楽祭。2019年5月24日・東京オペラシティコンサートホールの「ピノキオ支援コンサート」(水戸室内管弦楽団との共同制作)と、31日・ビーコンプラザ・フィルハーモニアホール(別府市)の室内楽コンサートの2公演を聴いた。今年のテーマ「悠久の真実〜ベートーヴェン」に沿い、両夜でベートーヴェンの名演奏を聴けたが、より強く印象付けられたのは作曲家、演奏家、聴衆それぞれの世代間のバトンタッチだった。
1941年生まれの女性ピアニストは音楽祭総監督マルタ・アルゲリッチだけでなく、日本にも田崎悦子、4月にベルギーで亡くなった宮沢明子らがいて同年輩の男性ピアニストより、はるかに元気な演奏を聴かせる傾向を共有する。アルゲリッチの実演に接するたび、聴く側も「ああ、生きている」と実感、強い力を授かる。次第に西洋音楽の飛び地、アルゼンチンから現れた「観音菩薩」のような後光を感じさせる今、東京オペラシティでその慈愛に最も包まれたのは、満身創痍の水戸芸術館館長で室内管総監督の小澤征爾だったかもしれない。
東京公演は上皇陛下ご夫妻にとって、今年4月末の天皇退位後初のコンサート鑑賞でもあった。在位中と同じく後半だけのご臨席。休憩の終わりに2階席中央に現れた瞬間、客席は総立ちで拍手、歓声を送った。私たち関係者も胸にリボンをつけ、同じ2階ブロックに座らされたので、比較的近くからお顔を拝むことができた。驚いた。まだ3週間半しか経っていないのに、いかにも「肩の荷を下ろした」風情の「超」柔和な表情に一変していらしたのだ。天皇時代もにこやかとはいえ、どこかに〝帝王〟の威厳を残されていた。市井の夫婦の老後を思わせる境涯に到達された今、どうか1日も長く、お好きな音楽をお楽しみください!
アルゲリッチに手を引かれた小澤は楽団員と一緒に登場、上皇ご夫妻に過剰な敬礼をするでもなく、ごく自然に、演奏位置についた。ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第2番」。小澤は「待ちきれない」といった風情で、いきなり序奏を振り出す。病身とは全く思えない力強い響きが、ホールいっぱいに放たれる。リハーサル時間にも制約があり、細部の仕上がりはやや粗い代わり、作曲者25歳の素朴なエネルギーが存分に伝わってきて、「これはこれでいい」と思った。ピアノの入りは意外なほど慎ましやかだったが、次第にテンションを上げ、第1楽章のカデンツァで、余人の追従を許さないクライマックスを築いた。第2楽章の2人は手を携え、どこまでもベートーヴェンの感情の深淵を究めていく。アルゲリッチは協奏曲の共演者に対する要求水準が高く、気に入らない指揮者をにらみつけながら弾く映像すら残っている。小澤とは若いころから共演を続け、闘病後の節目節目に駆けつける理由が今回、はっきりわかった。2人の音楽家としてのテンペラメント(気性)、楽曲への感覚的なアプローチが驚くほど似ているのだ。ペダンティックな要素は一切、介在しない。第3楽章の疾走は、人々がアルゲリッチと小澤に期待する世界そのもの。最後に熱狂が待っていた。
カーテンコールで精根尽き果て、アルゲリッチやホルンのラデク・バボラークらに支えられ、手を振る小澤。何度目かで、アルゲリッチがたまりかねたようにソロのアンコールを弾きだす。シューマン「子供の情景」第1曲「見知らぬ国と人々について」、アタッカ(切れ目なし)でJ・S・バッハ「イギリス組曲第3番」のガヴォット。美しい幕切れだった。小澤はステージドア前に椅子を用意してもらい、うっとりと聴いていた。客席の人々は前方の演奏家たち、後方の上皇ご夫妻の両方に手を振り、感動の光景がしばらく続いた。
水戸室内管は前半、指揮者なしでハイドンの「交響曲第6番《朝》」、ヴェーベルンの「弦楽のための5つの楽章」を演奏した。ハイドンでは田中直子、安芸晶子ら桐朋学園の第1世代が前に出て、ヴェーベルンは小栗まち絵、川本嘉子ら中堅世代がリード。それぞれに見事な合奏を披露した。協奏曲のコンサートマスターは百戦錬磨の豊嶋泰嗣。バボラークら外国人ゲスト、宮田大ら若手も目立った。水戸室内管の世代交代も、着実に進んでいるようだ。
豊嶋は31日の室内楽コンサートにも出演した。前半はハイドン「ディヴェルティメント変ホ長調」(ヴァイオリン=豊嶋、チェロ=向山佳絵子、ホルン=バボラーク)、ベートーヴェン「モーツァルトの《魔笛》の二重唱《恋を知る男たちは》の主題による7つの変奏曲」(チェロ=向山、ピアノ=小菅優)、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第21番《ヴァルトシュタイン》」(ピアノ=小菅)。後半はシューマン「幻想小曲集」(ホルン=バボラーク、ピアノ=アルゲリッチ)、アルゲリッチが初めて公開の場で弾くというメンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第2番」(ヴァイオリン=豊嶋、チェロ=向山)。当初予定のプログラムは演奏家に加え、ハイドン→モーツァルト→ベートーヴェン→メンデルスゾーン→シューマンと、作曲家の世代間継承も視野に入れたものだった。
「マルタの演奏会にしては整い過ぎている」と思っていたら、案の定、後半冒頭に「スペシャル・ファミリー・プログラム」が挿入された。長女のリダ・チェン・アルゲリッチと夫ヴラディーミル・スヴェルドフ・アシュケナージ(名ピアニストの妹で武蔵野音楽大学客員教授のエレーナ・アシュケナージの息子)の10歳の息子デーヴィッド・チェンのピアノ独奏で、父ヴラディーミル・スヴェルドフの「グラン ママ(おばあちゃん)」とショパン「ワルツ第6番《子犬のワルツ》」、マルタとリダ・チェンを加えたピアノ1台6手連弾でラフマニノフ「6つの小品」から「ワルツ」「ロマンス」。アンコールでは祖母と孫がラヴェルの「マ・メール・ロワ」から「女王の陶器人形レドロネット」を連弾した。地元ジュネーヴで武道に親しみ、舞台袖ではゲームに興じているが、アルゲリッチとアシュケナージのDNAを引き継いでいるのだから、どこにでもいる男の子ではない。ジュネーヴ音楽院上級プログラムで学び、2018年にはシュトゥットガルトのカール・アンドラー・ユーゲント国際コンクールに優勝している。祖母に捧げた「グラン ママ」の最初数小節を聴いただけで音色の多彩さ、打鍵(特に左手)の確かさ、リズム感の良さなどを実感。ショパンでは演奏効果を頭に入れた、魅力的な歌い回しまで聴かせた。これは、ファミリー内の継承ドラマ。
小菅の「ヴァルトシュタイン」は作品を手の内に収め、ダイナミックに突き進む演奏が喝采を浴びた。マルタと比べ、何かを述べる野暮な聴衆もいない。だが、デーヴィッドの演奏で際立った音色の多彩さが正直、そこには乏しかった。たまたま先日、ロナウド・ブラウティハムのフォルテピアノ独奏による見事な「ヴァルトシュタイン」をトッパンホールで聴いたばかりでもあり、もう少し立ち止まって逡巡したり、たっぷりと歌わせる瞬間がほしいと思ったのは確かだ。豊嶋、向山、バボラークはそれぞれ、中堅世代の名演奏家に成熟した。
圧巻は、最後のメンデルスゾーンだった。アルゲリッチは「部外者立ち入り厳禁」の長いリハーサルをこなし、豊嶋、向山と十分なディスカッションも経て本番に臨んだ。4つの楽章それぞれの性格を入念に描き分けつつ、全体をものすごい推進力が貫く。同年輩ならマルタと張り合い過ぎ、若手なら振り回されるところ、豊富な経験と若々しさを兼ね備えた立ち位置の豊嶋、向山が絶妙なバランスでピアノと弦のキャッチボールを繰り広げる。第4楽章「快速で情熱的に」の大詰め、ピアノの下降アルペジオの大噴火は「アルゲリッチ健在」以上の迫力で、特別な人との思いを新たにした。アンコールは、ほんの少し「上手の手から水」のミスがあった第3楽章「諧謔曲:急迫するほど速く」。負けず嫌いも健在のようだ。
すべてが終わったとき、アルゲリッチには珍しく「今日は〝降りてきた〟わね」と、満足の言葉を漏らしたそうだ。別府に根づいてからの彼女の目尻は年々垂れ下がり、笑顔はどんどん柔和になり、国籍不明の「世界の祖母」みたいな風貌を備えるに至った。次の世代は、聴衆ともども幸福感に満ちた音楽祭の雰囲気もぜひ、受け継いでいってほしい。
※写真は2点とも©️Rikimaru Hotta(提供=公益財団法人アルゲリッチ芸術振興財団)
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