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不思議なアチュカロ。深い左手の打鍵

執筆者の写真: 池田卓夫 Takuo Ikeda池田卓夫 Takuo Ikeda

一部に熱狂的な支持者を持つスペイン・バスク地方出身の長老(87歳)ピアニスト、ホアキン・アチュカロのリサイタルを2019年1月21日、東京文化会館小ホールで聴いた。


アチュカロは個人的に「幻」であり続けた。1986年7月の新婚旅行でフィレンツェを訪れた折、通りがかりの教会でトスカーナ地域管弦楽団演奏会の休憩時間に出くわした。興味深そうに中をのぞいていると、日本人の若いカップル(でした、当時は)が珍しかったのか「後半だけならタダでいいので聴いていけ」と言われた。指揮は昨年のローマ歌劇場日本ツアーで久々に来日したドナート・レンツェッティ、曲はチャイコフスキーの「弦楽セレナード」。まだ若手バリバリだったレンツェッティの情熱的なタクトに導かれた「フィレンツェのチャイコフスキー」のカンタービレにしびれ、幸運に感謝した。で、前半は何だったのかというと、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」で、アチュカロが独奏した。以来、私にとってだけ幻の存在だったわけだが、80代に入って来日頻度が上がり、一部に熱狂的なファンを持つようになった。今回は武蔵野市民文化会館でのリサイタルが素晴らしかったと聞くに及び、33年ぶりのリベンジがようやく実現した。大勢には全く関係ない話だ。


前半では「日本語できなくて、ごめんなさい」のメモ書きを持参した本人が楽曲への深い思いを語り、ショパンの「24の前奏曲」をじっくりと弾きあげた。「単に24曲の小品の連作集ではなく、人間の感情のすべてが刻み付けられた、マーラーの交響曲にも匹敵する巨大な建築物と捉え、曲と曲の間にこそ描かれている感情の移ろいや隔たりにまでじっくりと耳を澄ませながら、日本のみなさまに、この壮大な旅をご一緒していただければと願っています」と書かれたプリントも、プログラムに挿まれていた。確かに一気呵成に弾かず、調性の変化に配慮しながら、時に大きな間を置く。ミスタッチがないわけではないが、すでに確立した独自の解釈の像に揺るぎはない。正直に言って、あまり好きなタイプのショパン演奏ではない。この年齢でももっと、人を深いところで感動させる演奏を聴いた記憶もある。ただ打鍵、特に左手の深く厚く、ピアノの芯まで鳴りきらせた音には、しびれた。最近のコンクール受験者はもとより、演奏の一線にいる若手奏者の多くがピアノの「つかみ」の浅い、歯の浮くような音しか出せないのとは対照的で、久しぶりに重量級の素晴らしい低音を聴いた。驚いたのはステージに現れた瞬間より、弾き終えたときの方が若々しく見えたこと。


後半はアルベニス、デ・ファリャのスペイン物とドビュッシーを関連づけた小品集。1曲ごとに拍手をもらい、気持ちよさそうに弾く姿はどこか鄙びていて、現代では珍しくローカルな味わいを残しつつ「巨匠」と崇められる位置まできた不思議なキャリアに思いをはせた。アンコールはグリーグの「夜想曲」、デ・ファリャの「火祭りの踊り」、ショパンの「夜想曲第2番」の3曲。奥様に見守られながらサインに応じる横顔を見ても、本人の幸せな気持ちが伝わる。スケールはずっと小さいが、今は亡きアルド・チッコリーニを思い出した。

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