クラシックディスク・今月の3点+1(2021年3月)
藤倉大「Akiko's Piano」広島交響楽団2020「平和の夕べ」コンサートより
藤倉大「ピアノ協奏曲第4番《Akiko's Piano》」
ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第13番〜第5楽章《カヴァティーナ》」(弦楽合奏版)
マーラー「歌曲集《亡き子をしのぶ歌》」
J・S・バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番〜第5楽章《シャコンヌ》」(斉藤秀雄による管弦楽版)
下野竜也指揮広島交響楽団、萩原麻未(ピアノ)、藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)
2020年8月5&6日、広島文化学園HBGホールでのライヴ録音。藤倉への広響委嘱新作は当初、同響「平和音楽大使」の称号を持つマルタ・アルゲリッチが世界初演するはずだったがコロナ禍で来日できず、組み合わせる楽曲もベートーヴェンの「交響曲第9番《合唱付》」ではなくなった。広島市に人類史上初の原子爆弾が投下されてから75年の節目。冒頭には《広島の犠牲者に捧げる哀歌》の作曲者で2020年3月に亡くなったポーランドの作曲家、指揮者として広響に客演したこともあるペンデレツキの《シャコンヌ》も演奏された(ディスクでは割愛)
Akikoとはロサンゼルス生まれ、6歳で日本人の両親とともに広島へ移り、19歳のとき、爆心地近くの勤労動員先で被爆した翌日に亡くなった河本明子さんのこと。遺品の米国ボールドウィン社製アップライトは、いわゆる「被爆ピアノ」で広島のピアノチューナー、坂井原浩が「明子のピアノ」として修復した。それがアルゲリッチの目にとまり、試奏したことも1つのきっかけとなり、文化庁が広響に委託する大規模な音楽プロジェクト「Music for Peace」が2017年に始まった。藤倉は「すべての戦争には必ず明子さんがいる」との視点から、より普遍的な音楽を目指し、作曲に7か月を費やした。前半は管弦楽と現代のグランドピアノ、後半は「明子のピアノ」だけのカデンツァという2部構成をとる。ソロは自身が広島の被爆三世でこのピアノを何度も弾き、アルゲリッチにつないだ背景を持つ萩原に替わった。2017年に広響音楽総監督へ就いた下野の演奏は初の「マイ・オーケストラ」を得てから、明らかな円熟をみせる。元々の切れ味鋭さに温かくヒューマンな感触が加わり、透明で繊細、時に鋭い輝きを放つ萩原の独奏ともども、大きく切実な音楽で聴く者を包み込む。
組み合わせが祝祭的にも響く「第九」ではなく、同じ作曲家の「カヴァティーナ」、バッハが最初の妻マリア・バルバラへのラメント(哀悼歌)の意味もこめ書いた「シャコンヌ」、リート(ドイツ語歌曲)の傑出した解釈者である藤村による味わい深い「亡き子をしのぶ歌」に変更されたことにも、偶然以上の必然を感じる。極めて強い印象のディスクだ。
(ソニーミュージック)
エルガー「ヴァイオリン協奏曲」「ヴァイオリン・ソナタ」
ルノー・カピュソン(ヴァイオリン)、サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団、スティーヴン・ハフ(ピアノ)
エルガーの協奏曲は演奏時間50分に及ぶ大曲だが、近年は少しずつ演奏頻度が高まりディスコグラフィーも充実してきたが、ブリテンやヴォーン=ウィリアムズら他の英国人作曲家によるヴァイオリンと管弦楽の作品ではなく、同じエルガーの室内楽曲とのカップリングは珍しい。ラトルがバーミンガム市交響楽団時代、ナイジェル・ケネディと同曲を録音した際も、ヴォーン=ウィリアムズの「揚げひばり」との組み合わせだった。
両曲を通して弾くカピュソンだけがフランス人で、指揮者とピアニストは英国人という人選の妙も興味深い。ラトルが2017年にベルリン・フィルからロンドン響(LSO)へ移った当時の熱気は、英国のEU(欧州連合)離脱から新ホール建設計画の立ち消えに至る一連の展開に従って冷めた。ドイツ国籍も取得してベルリンに住むラトルは2023/24年シーズンから故マリス・ヤンソンスの後任として、ミュンヘンのバイエルン放送交響楽団・合唱団の首席指揮者に就くことが決まり、LSOとの緊密な共同作業は予想外の短期に終わる。2020年の日本ツアーもコロナ禍で中止され、何となく「運に見放された」感じが漂うが、2018年9−10月の日本ツアーでは両者が強い信頼関係で結ばれ、音楽的にも大きな成果を上げている実態がはっきりと確認できた。このエルガーでもスコアから多彩なニュアンスを引き出して隙なく管弦楽の絨毯を敷き、カピュソンの深く沈潜する音楽と見事な一体感をみせる。
剛腕のヴィルトゥオーゾ(名手)のイメージが強いハフだが、これまでもチェロのスティーヴン・イッサーリスとのデュオなどを通じ、優れた室内楽奏者としての魅力も明らかにしてきた。カピュソンとのチームワークも円滑で、名手2人の濃密な室内楽の会話を楽しめる。
(ワーナーミュージック)
「パリ ヒラリー・ハーン」
ショーソン「詩曲」
プロコフィエフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」
ラウタヴァーラ「2つのセレナード《愛へのセレナード》《人生へのセレナード》」
ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)、ミッコ・フランク指揮フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団
ハーンが2018/2019年のシーズン、フランス国立放送フィルのアーティスト・イン・レジデンスに招かれた折、首席指揮者フランクと制作した「思い出のアルバム」だ。パリにゆかりの深い作曲家2人の名曲だけならーーもちろん、演奏はいつもながらのハーンで、徹底的に彫琢が施されているーー「普通のアルバム」だが、ラウタヴァーラの絶筆と組み合わせたことで別格の価値を主張するに至った。
エイノユハニ・ラウタヴァーラ(1928ー2016)はミッコと同じく、フィンランド出身の作曲家。作風は前衛から次第に明快で、時に神秘的な響きへと変化した。ハーンは27曲の小品を収めたアルバム「アンコール」を制作する際にラウタヴァーラへ初めて委嘱、「ささやき(Whispering)」という新作を書いてもらったのが縁で「ヴァイオリン協奏曲第1番」を2014年にフランク指揮フランス国立放送フィルと共演した。
「私のために新しい協奏曲を書いてほしい」との願いをハーンはフランク経由で伝え、すでに体調を崩していた作曲家は「セレナード風の小品なら…」と、フランクに漏らしたという。2016年にラウタヴァーラが亡くなり、ヴァイオリン独奏パートが完成、オーケストラ部分は2曲目の途中で止まり、ピアノ譜のスケッチが残されていた。これをラウタヴァーラ門下の世界的作曲家で自身もヴァイオリンを弾くカレヴィ・アホ(1949ー)が補い、2019年2月のパリで世界初演した。これはその時の録音であり、ラウタヴァーラが自身のオペラ「太陽の家」から転用した2つの旋律が物悲しく、美しい世界を描く。
(ユニバーサルミュージック)
もう1点:ショパン「ピアノ協奏曲第1番」
眞木利一(ピアノ)、朝比奈隆指揮関西交響楽団
ピアニストで音源収集&復刻家の松原聡が骨董店で偶然に見つけ、復刻CDレーベル「サクラフォン」を主宰する夏目久生と共同でCD化した奇跡の記録。昭和24年(1949年)のショパン生誕100年に、敗戦後間もない音楽家たちが懸命に演奏した「ピアノ協奏曲第1番」の日本人初録音である。1949年3月20日のラジオ録音を78回転12インチのアルマイト盤4枚に収め、30分の放送枠に合わせて第1、第3楽章にカットがあり、第1楽章には女性アナウンサーの声がかぶる。大阪フィルハーモニー交響楽団の前身、関西交響楽団がプロ化される1年前の演奏であり、現存する最古の音源と思われる。眞木(1926ー2010)は金澤孝次郎、レオニード・クロイツァーらに師事し、関西響の専属ピアニストを務めた。三男の喜規は声楽と合唱指揮で活躍中。ジャズシンガー綾戸智恵の「唯一のピアノの先生」でもある。
ノイズも多く、決して優れた音質とはいえないし、演奏も現代の一線と比較すれば心もとないかもしれない。しかし、焼け跡でゼロから音楽を立ち上げ「平和な文化国家」の再興を目指していた当時の人々の熱気、作品に対する畏怖の念、懸命な合奏ぶりは実に生々しく「貴重な記録」以上の挑戦状を今の私たちに突きつけているようにも思える。
(サクラフォン)
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