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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

下野竜也&シティ・フィル+小山実稚恵バーバーvs伊福部昭「若書き」対決の熱


東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第343回定期演奏会を2021年7月28日、東京オペラシティコンサートホールで聴いた。指揮は広島交響楽団音楽総監督の下野竜也、ピアノは小山実稚恵、コンサートマスターは特別客演の荒井英治。前半はサミュエル・バーバー(1910ー1981)の「弦楽のためのアダージョ」「交響曲第1番」、後半は伊福部昭(1914ー2006)の「ピアノと管弦楽曲のための協奏風交響曲」と米日の20世紀音楽でまとめた。メインの交響曲を作曲した年齢はバーバーが26歳、伊福部が27歳だから「若書き作品の一騎打ち」といえた。下野はシティ・フィルにたびたび客演、いつも輝かしくダイナミックなサウンドを引き出すが、今回は近現代作品で力を発揮する荒井のリードを得て、より繊細な陰影や音の美感も発揮できたと思う。フルートの竹山愛、オーボエの本多啓佑、クラリネットの山口真由、トランペットの松木亜希、ホルンの谷あかねらのソロも見事で、シティ・フィルとしても最上のアンサンブルだった。


元は交響曲と同年に作曲した「弦楽四重奏曲第1番」第2楽章アダージョをバーバー自身が弦楽合奏に編曲した音楽は1963年、暗殺されたケネディ米国大統領の葬儀で使われたのを機に世界的知名度を得た。バーバー自身は「すっかり葬式の音楽になってしまった」と最後まで嘆いていたとされるが、「戦争の夏」の演奏会の幕開けにはふさわしい。続く「交響曲第1番」は世界初演翌年の1937年、アルトゥール・ロジンスキー指揮ウィーン・フィルがザルツブルク音楽祭(祝祭)でヨーロッパ初演、同音楽祭が最初に採用した米国人作曲家の作品とされる。とにかく「言いたいこと、書きたいことを全部ぶち込みました!」みたいに音が弾ける作品で、世界に羽ばたこうとする若い才能の健康的な輝きに満ちあふれている。下野とシティ・フィルもガンガン攻めてくるので、猛烈なエネルギーの放射を体感できた。


今から21年前(2000年)の7月、私は東京芸術劇場コンサートホールの楽屋一角にしつらえたNAXOSのレコーディングルームに伊福部先生、英国人プロデューサー、エンジニアとともに座り、「日本作曲家選輯」の記念すべき第1作「日本管弦楽名曲集」(沼尻竜典指揮東京都交響楽団)の録音に立ち会っていた。数年前にヒットした同レーベルのスウェーデン名曲集「Swedish Rhapsody」(オッコ・カム指揮ヘルシンボルイ交響楽団)に想を得て「その日本版を作りませんか?」とNAXOSの総帥、クラウス・ハイマンさんに提案したところ「ならば英国、米国の管弦楽と同じくシリーズ化したいので、80タイトル(!)くらいのリストを出してほしい」と壮大なプランを返され、とても1新聞記者の手には負えないので博覧強記の友人、片山杜秀さんに後事を託したのが「選輯」の始まりだった(片山さんは事あるごとに「池田さんの発案に私が乗りました」と説明するが、とりわけ新聞社勤務時代は誰もそう書いてくれなかった。CDには私の名前もクレジットされているのに)。アルバムに収めた伊福部作品「日本狂詩曲」は16分ほどの作品だが、午前10時に始まったセッションは作曲家、プロデューサー双方からなかなかOKが出ず、午後4時近くまでかかった。


伊福部先生は「私が求めるのは泥道を草鞋か裸足で歩く音ですが、皆さんのはアスファルト舗装の上で革靴を履いている感じがします」と、ひたすら土俗的サウンドを求め、映画《ゴジラ》の音楽の大ファンで伊福部を「神」と仰ぐ英国人たちも粘りに粘る。当時86歳の大作曲家に「先生、猛暑の中お疲れが出ませんか?」と尋ねると、「平気です。映画音楽のスタジオで毎年夏、ステテコ一丁でスコアを書き続けた経験に比べれば、どうってことありませんよ」と涼しい顔で答えた。「世界の皆さんが私を《ゴジラ》だけの作曲家と思われるのは、ちょっと心外です。純音楽の作品も、もっと聴いていただきたいなあ」とも言われたが、映画音楽だろうと交響曲だろうと伊福部音楽の息ながく強烈なオスティナート(同一音型の執拗な反復)には変わりがないと思う。「とにかく当時、大きな作品を書きたかった」と回想する「協奏風交響曲」でも、強烈オスティナートの語法はすでに確立されている。


土俗的な側面も十分に備えているが、太平洋戦争勃発の嵐の中で「時代感情の表現として、モダンな鉄と鋼の響きと民族的なエネルギーを結びつけられないかとの想念にとらわれ、プロコフィエフやモソロフやヴァレーズなどの作品にも影響されていた」との述懐通り、「協奏風交響曲」では、モダニストというもう1つの顔がはっきりと前面に出る。コスモポリタンな雰囲気の札幌で仲間たちとともに新しい時代の音楽に触れつつ、北海道帝国大学を卒業したインテリの伊福部は、決して土俗一辺倒の作曲家ではない。第2楽章がオーボエのソロで始まり、ピアノが繊細に入るまでの展開にはラヴェルの「ピアノ協奏曲」(両手)と通じる音の感触がある。一般の管弦楽曲に比べヴィオラの活躍がソロ、合奏の両面で目立つのも面白い効果を発揮する。木管が基本2管なのに対し金管はホルン4本を筆頭に分厚く、オーケストラ全体がカラフルで隅々まで良く鳴る。オーケストレーションの独自性とサウンドのゴージャスさの点で、27歳の伊福部は26歳のバーバーの一歩先を行っている気がした。


これだけ豪勢な管弦楽にピアノ1台で立ち向かうのは至難の業であり、第1楽章のクライマックスでは完全に埋もれたりもする。「この作品を演奏するのは3度目」という小山の腕っぷしは人並外れて強く、土俗性とモダニズムのバランスにも抜かりがなかったので、まずは理想的な再現者といえる。下野の指揮も荒井のリードもシティ・フィルの食いつきも、エネルギッシュ以外の何ものでもない。オリジナルのスコアは1945年3月10日の東京大空襲で焼失したが、1992年になってパート譜がNHKの資料室で発見された。最初は渋った作曲家も最後は折れて再生作業が進み、1997年に舘野泉が放送で蘇演したという「曰く付き」の作品。演奏機会は稀だ。小山と下野、シティ・フィルの名演奏が一つの弾みとなり、より多くのピアニストが手がける作品に定着してほしいと願う。「戦争の夏」に意欲的プログラムが組まれ、意外なほど多くの聴衆がつめかけ、熱狂した。すべては下野の作戦勝ちだった。



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