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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ヴィオラとピアノの夫唱婦随で楽興の時


ハウスムジーク。家庭音楽を意味するドイツ語で、30年ほど前までのドイツ語圏に残っていた音楽の楽しみ方の一つ。家族や友人が楽器を持ち寄り、お気に入りの名曲を自分たちなりに演奏し、食事やワインを楽しむ時間は贅沢で幸福感に満ちたものだった。プロフェッショナルの演奏でも、ヴィーン・フィルハーモニーの楽員どうしが共通の音楽言語で室内楽に興じる瞬間は、ハウスムジークの精神や概念が最高度に発揮され、昇華したケースと言えるだろう。


東京藝術大学音楽学部を卒業と同時に新日本フィルハーモニー交響楽団へ入団、退団後はソロや室内楽、アマチュアオーケストラの指導などで多忙な日々を送るヴィオラ奏者の加藤由貴夫、桐朋学園大学音楽学部出身のピアニスト・教師の松山隆子のご夫妻も年に数回、室内楽形式のリサイタルを開き重ねてきた。10月30日、東京・代々木上原のムジカーザで行われたデュオリサイタルでは藝大の後輩に当たるヴァイオリニスト、小杉結をゲストに招いた。100近い客席が満員、夫妻がコツコツ広げてきた「ハウスムジークの輪」を立証する。


曲目はボッケリーニの「ヴィオラとピアノのためのソナタ ハ短調」、小杉を加えたモーツァルトの「ケーゲルシュタット・トリオ 変ホ長調」が前半。後半はベートーヴェン。松山のソロによる「ピアノ・ソナタ第27番 ホ短調」、松山とのデュオの「ノットゥルノ」。アンコールには同じ作曲家の「七重奏曲」の「メヌエット」をヴィオラとピアノで奏でた。


ムジカーザは比較的乾いた音響の会場なので、弦の響きが控えめになりがちな半面、作品像や楽器の発音は明瞭に伝わる。前半の18世紀音楽では、そうしたホールの音響特性を生かし、もう少し音価やアーティキュレーション、フレージングにピリオド(作曲当時の)奏法の発想をとり入れ、全音均等よりは不均等(イネガル)な音の並びで語りかけるような様式面の配慮があっていいと感じた。とはいえ、モーツァルトの生気あふれる音の語り合い、前々へと進むグルーヴ感には、3人の豊富な演奏体験が反映され、聴きごたえがあった。ピアノソロのソナタも、これは個人の嗜好の問題でもあるが、もう少しペダルの使用を控え、古典的な音の粒立ちを前面に出した方が作品の成立した時代の音楽趣味、楽器の構造を想起せる再現が可能だったのではないかと思われる。だが6楽章構成の大作「ノットゥルノ」では松山の室内楽ピアニストとしての資質が全開、水を得た魚のように輝く音の絨毯を整え、丁寧に楽想を追う加藤のヴィオラと高い次元で一致して、デュオの醍醐味を堪能させた。


何より滅多に実演を聴けない作品の高水準の再現を間近に体験、それぞれの良さをたっぷり味わえたので来た甲斐があった。実は加藤&松山ご夫妻とは全く面識がなく、たまたま自宅が隣同士という元勤務先の同僚がなかを取り持ち「ぜひ一度、聴いてあげてください」と、私の最終出社日に招待状を届けてくれたのだった。その導入部からして、ハウスムジークの味わいに満ちた一夜に感謝。

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