• 池田卓夫 Takuo Ikeda

ヴァイグレ「背水の陣」にカンブルランの「衣鉢」も漂わせた読響の「タコ5」


今日も「お立ち台」

常任指揮者セバスティアン・ヴァイグレと読売日本交響楽団(読響)の第644回「名曲シリーズ」を2021年8月23日、サントリーホールで聴いた。「第1外国語」授業が英語ではなくロシア語だった時代の旧東ドイツ出身、ベルリン国立歌劇場首席ホルン奏者から指揮に転じたオペラのカペルマイスター(楽長)ヴァイグレが、ロシアの歌劇や管弦楽曲に抱く感情には、愛着だけにとどまらない複雑で屈折した要素ーーありていに言ってしまえば愛憎(Hass und Liebe)が錯綜しているのではないか? 冷戦時代の最後から崩壊直後までの4年間をドイツで過ごした私には、様々な思いにかられるロシア音楽のプログラムだった。


ドミトリー・カバレフスキー(1904ー1987)とドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906ー1975)。20世紀の69年間、旧ソ連時代の58年間を共有した2人の作曲家。体制迎合のカバレフスキーのある意味〝ノーテンキ〟な「歌劇《コラ・ブルニョン》序曲」による幕開けでヴァイグレは読響の優れた機能、それを手中に収め自在な表現を獲得しつつある自身の今を最大限にアピールした。だが韓国人を母、ドイツ人を父に持つ元シュターツカペレ・ドレスデン首席チェロ奏者のイサン・エンダース(1988ー)を独奏に迎えたショスタコーヴィチ「チェロ協奏曲第2番」(1966)で、光景は一変する。暗い、とにかく暗くて重い。


聴きながら神経を切り刻まれる思いに苛まれ、目を閉じた。前作の交響曲への旧ソ連政府の過剰な介入でストレスが高じた作曲者は、第2チェロ協奏曲初演を前に心筋梗塞で3か月の入院を余儀なくされたという。カバレフスキーとの、あからさまな落差! エンダースの楽譜はiPadとフットスイッチの組み合わせだったが、第1楽章の半ばでまさかのフリーズ、演奏の中断によるダメージをソリスト、指揮者の巧みな現場判断で最小限に収めたという。私はひたすら目を閉じていたため、何が起きたのか分からなかった。エンダースの持ち味はアンコールのJ・S・バッハ「無伴奏チェロ組曲第6番」の「アルマンド」も含め、地味な外観のうちに無限のニュアンスの変化、温かな人間味を湛えたもので、良い音楽を奏でていた。


後半は同じ作曲家の「交響曲第5番」だった。驚いたのは、ホルン奏者として同曲を「数え切れないほど演奏してきた」経験を持つヴァイグレにとって「指揮するのは今夜が初めて」の事実。コロナ禍に対応した来日後2週間の待機をはじめ勉強に時間をさける稀な機会をとらえ、古今の文献や録音を徹底的に検証する「背水の陣」で解釈を温めてきたという。オペラのマエストロらしくドラマトゥルギー(作劇術)の設定にも抜かりはなく、緩急の振幅を大きくとりながら、「カルメン」の引用をはじめとする「歌える箇所」「旋律の要素」をことごとく入念に極め、起伏に富んだロシア音楽の大河の流れを確保する。半面、色彩感では油彩系を避け、透明水彩が何層にも塗り重なったかのような透明度(トランスパレンシー)を優先、前任のフランス人常任指揮者シルヴァン・カンブルランが読響に植え付けた繊細な音の美観の衣鉢も見事に生かす。とりわけ、弦合奏の弱音の透明な美の絹糸に管や打楽器、ハープのソロが金や銀、プラチナの装飾のようにからむ感触は極上の友禅を想起させた。客席も耳たこのはずの「タコ5」にして初めて聴く冷静と情熱のバランスが独特に混ざり合った音に熱狂し、最後はこのところのヴァイグレで頻繁に現れる「お立ち台」に着地した。


ヴァイグレはドイツで歌劇場楽員からカペルマイスターの道を歩み、50代後半に至った時点で読響のポストをゲット、還暦(60歳)以降のシンフォニー指揮者のキャリアもにらんだレパートリー拡大に踏み出した。その基本が往年の外国人シェフのような「本場への練習台」ではなく、「日本のオーケストラとの組み合わせでしかできない音づくり」に置かれているのは楽員、聴衆の双方にとって幸福な状況だろう。


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