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  • 執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ロレンツォの「ヴェルレク」静かな祈り


終演後は年齢(28歳)相応の気さくな青年に戻る

1990年ローザンヌ生まれのイタリア系スイス人指揮者、ロレンツォ・ヴィオッティが2019年1月13日、ミューザ川崎シンフォニーホールと東京交響楽団(東響)が共催する「名曲全集」第144回でヴェルディの「レクイエム」の画期的名演を成し遂げた。25歳のとき急な代役指揮で日本デビューして以来、東響とは3度目の共演。昨年は新国立劇場に現れ、50歳で急死した父のマルチェッロ・ヴィオッティが初演したアントネッロ・マダウ=ディアツ演出の「トスカ」(プッチーニ)再演を指揮、ピットに入った東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会にも招かれ、ドビュッシー、ラヴェルのフランス音楽プログラムで絶賛を浴びた。


私は1988〜92年のフランクフルト駐在時代、フランクフルト市立劇場オペラやhr(フランクフルト放送)交響楽団をマルチェッロが指揮した演奏を数多く聴いた。2000年9月の新国立劇場の「トスカ」初演時は直接、インタヴューもしている。ローザンヌの放送局の合唱団員だったころヴォルフガング・サヴァリッシュから指揮の才能を見出され、ミュンヘン放送管弦楽団(バイエルン放送協会の第2オーケストラ)の首席指揮者を務めながら主にドイツ語圏の歌劇場で活躍した。どちらかといえば直情径行型の激しい音楽をやる人で、フランコ・ボニゾッリ(テノール)、マリア・グレギーナ(ソプラノ)、レナート・ブルソン(バリトン)らとの「アンドレア・シェニエ」(ジョルダーノ)の演奏会形式上演(hr響とアルテオーパーで)の興奮は、いまだに記憶の一角を占めている。


だが、遺児ロレンツォのつくる音楽は全く違う。ウィーンを拠点に指揮の勉強を本格的に始めたとき父はこの世になく、フランスの大指揮者ジョルジュ・プレートルの薫陶を受けた。2001年にミラノ・スカラ座が「トゥーランドット」(プッチーニ)を浅利慶太の新演出で上演した際、当初予定されていた指揮者のジュゼッペ・シノーポリが急死した。困り果てたスカラ座は「もうピットでオペラは指揮しない」と劇場から足を洗っていたプレートルを口説き落とし、初日を委ねた。マエストロがピットに現れた途端、客席のあちこちから「Ben tornato!(お帰りなさい)」の歓声が上がったのだけれども、プッチーニ最後のスコアをR・シュトラウスやドビュッシー、ラヴェル、さらにはベルクらの同時代の音として、複雑繊細きわまりなく、じっくりと立ち上げていく運びは、血気盛んなイタリア人を震撼させるに十分だった。私は後にも先にも、これほどまで洗練されたプッチーニの再現を聴いたことがなかったが、昨年、ロレンツォが指揮した「トスカ」で突如、その再来に出くわし心底嬉しかった。続くドビュッシー、ラヴェルの演奏会でも、すべての線を鮮明に浮かび上がらせながら、音楽を豊かに膨らませていく手腕の確かさに、指揮者の年齢を完全に忘れていた。


そして、2019年の幕開けを告げるヴェルディの「レクイエム」。ごくごく最初の合唱の入りでもう、鳥肌が立った。いつもながらの暗譜で作品を手中に収めた東響コーラス(安藤常光指揮)のピアニッシモが今日は一段と神妙で、ただならぬ気配を漂わせている。水谷晃がリードするオーケストラの弱音も、セルジュ・チェリビダッケの記憶を呼び覚ますほど徹底し、微細なニュアンスを積み重ねていく。もちろん「怒りの日」「リベラ・メ」の爆発では若い指揮者ならではのエネルギーの放射、切れ味の鋭い棒さばきも存分に楽しめたが、ロレンツォの本領はあくまで「弱音から発想した音楽解釈」にある。遅めのテンポで弱音を千変万化させながら祈りの感情を深め、ヴェルディが友人(詩人のアレッサンドロ・マンゾーニ)の死に託した思いを克明に再現していく。最初から最後まで、緊張の糸が途切れる瞬間はなかった。楽員たちも「しんどい!」を連発しながら、ロレンツォの「弱音芸」(そんな言葉、あるのか?)にとことん付き合い、美意識を共有していた。


独唱は森谷真里(ソプラノ)、清水華澄(メゾソプラノ)、福井敬(テノール)、ジョン・ハオ(バス)の東京二期会チーム。多少の凸凹はあったが、勢い任せを断じて許さず、細かなニュアンスを求める指揮に必死の形相で食らいつき、精神的に満たされた何かを客席に与えたのは立派。特に森谷は、音色的に必ずしも適した作品でないにもかかわらず、高い集中力と強い祈りの気持ちで客席の耳を引き寄せ、プロフェッショナルの凄みを発揮して見事。


素顔のロレンツォは人懐こく、年齢相応の表情に戻る。趣味はボクシング、キックボクシングなどの格闘技で、滞日中もジムに出かけていく。打楽器奏者としてウィーン・フィルの日本ツアーにエキストラで加わった経験を持ち、行きつけの寿司屋もあるなど、すでにかなりの日本通。今後もすごい勢いでマエストロ街道を進むに違いないが、日本への愛着が失せないよう、各地のオーケストラや劇場がせっせと招いてほしいものだ。



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