このところ実演でいくつも、セルゲイ・ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を聴いた。新譜でも、何点か。その多くに満足できなかった理由は、ピアニストとオーケストラの「性能」が上がり過ぎて余りにサラサラ、すべすべと音楽が進み、作曲家の葛藤や屈折を想起させてくれなかった点に尽きる。わずか1ヶ月の間にテルアビブのルービンシュタイン、モスクワのチャイコフスキー国際コンクールの2大難関を制したロシアのヴィルトゥオーゾ(名手)、ダニール・トリフォノフはまだ27歳の若さながら、過去にリリースされたリストやショパンのディスク、別府の音楽祭でマルタ・アルゲリッチのために弾いたシューマン〜リストの「献呈」の実演などを通じ、技の背後にある作曲家や時代、文化の精神世界をしっかり見据え、聴き手の心へと届ける稀有の才能であることを立証してきた。
トリフォノフが「ラフマニノフのピアノ協奏曲全集の録音に乗り出した」と聴いた瞬間、私はここ何年かの「葛藤」への渇望が癒されると確信した。しかも共演はレオポルド・ストコフスキーからユージン・オーマンディーのシェフ時代にラフマニノフと直接かかわったフィラデルフィア管弦楽団と気鋭の音楽監督、ヤニック・ネゼ=セガン。ヤニックはメトロポリタン歌劇場の音楽監督に抜擢されたオペラ指揮者でもあるから、ロシア音楽特有の情感や歌心をたっぷり再現できるはずだ。シリーズ第1作は協奏曲の第2番、第4番の間にラフマニノフ編曲のJ・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番からの組曲」をはさんだ構成。ジャケットやブックレットの随所にスーツケースを携え、鉄道の旅路にある設定のピアニストの写真が使われている。解説書の中で、トリフォノフは「ラフマニノフを目指す旅へ」と全集録音への意気込みを語り、第1作を「出発のとき」と位置付ける。失意から再生への出発だった第2番、米国で最新の音楽を吸収、新しい様式への出発となった第4番それぞれの旅路をたどり、ラフマニノフの人生の旅路を俯瞰する優れた選曲である。
トリフォノフは有り余る技巧を作品の内面に捧げ、ラフマニノフの揺れ、逡巡、決意など様々な感情の振幅を多面的に再現していく。ヤニックもトリフォノフの揺れに「共振」しながらフィラデルフィア管を色彩豊かに響かせ、「アメリカのラフマニノフ」の良い伝統を感じさせる。私の高校生時代の愛聴盤はアルトゥール・ルービンシュタインの独奏、オーマンディー指揮フィラデルフィア管の米国プレスのLP盤だった。ルービンシュタイン・コンクールの優勝者とフィラデルフィアの組み合わせだから、というわけではないが、トリフォノフとヤニックの新録音にはどこか、私の愛してやまない名盤の面影も宿っている。
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