屈強な体格でボディガードのような男性スタッフに付き添われ、杖をついてステージに現れた82歳のズービン・メータ。ドイツ・ミュンヘンのバイエルン放送交響楽団の2018年アジアツアーを首席指揮者のマリス・ヤンソンスが病気でキャンセル、代役にウィーン国立音楽大学指揮科のハンス・スワロフスキー教授門下の先輩であるメータが代役に選ばれた時点で広がった驚き、不安は今夜(2018年11月22日、東京芸術劇場)、幸福と感謝に一変した。
ヤンソンスのマーラー「交響曲第7番《夜の歌》」を期待した聴き手にとってメータ代演はともかく、曲目が同じ作曲家の「交響曲第1番《巨人》」とモーツァルトの「交響曲第41番《ジュピター》」(演奏順序は逆)になったのは衝撃以外の何物でもなかったはず。指揮者が登場するまでの会場のテンションは正直、低かった。だが昨シーズンは自身が重病でイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団との来日をキャンセル、一時は危篤説も流れたメータが日本へ復帰、満身創痍の姿で指揮台までたどり着き、特製のスロープと椅子、脚台に支えられ気丈に指揮しようとする姿を見て、「今夜は特別になる」との予感が支配的になった。
対向配置、第1ヴァイオリン10人の小編成と、イスラエル・フィルとの来日では拝んだことのない極小の編成で「ジュピター」は始まった。エキゾティックな容姿、マッチョな音楽で「ズービン・ベイビー」と呼ばれ、1960〜70年代のアメリカ楽壇で(良きにつけ悪しきにつけ)セックス・シンボルの役割も担ったメータがこれまで一度も聴かせたことのない脱力に徹し、リピートも忠実に実行しながら1つ1つの音符、和声、フレーズを慈しむかのようにゆっくり、楽団員たちとの音楽の会話も楽しんでいる。最初はあまりの豹変に驚き、心配にもなったのだが、第4楽章では往年の輝きもちゃんと用意されていて、ひと安心。解釈の変化は体調の反映ではなく、マエストロの現時点のモーツァルト解釈なのだと納得した。
後半のマーラーは弦楽器が2倍以上に膨らんだ大編成。メータが指揮する「巨人」は国内外さまざまなオーケストラで何度も聴いてきたが、いずれも鋭角的な棒さばきで颯爽、ダイナミックに展開する半面、やや即物的な印象を残すものだった。ところが今夜は全く違った。
モーツァルトでも顕著だった慈悲深い眼差しがすべての音に行き渡り、1箇所たりとも意味のないフレーズがない。弦もねっとりではなく柔らかく透明な音でしみじみと歌わせ、マーラーに潜む旋律美を最上のクオリティーで引き出す。弦楽器で素晴らしい音の絨毯を敷き詰めた上に木管、金管、打楽器の花を咲かせる中欧の伝統的なオーケストラ・バランスも見事に再現されていた。迂闊にも曲目変更の衝撃で思考が停止、メータが第1、第2楽章の間に「花の章」を追加したのに気づかなかった。以前、挿入したことはあったのだろうか?(会場で販売されたプログラム冊子には「花の章」が明記されている)。私にとって不意打ちのように始まった「花の章」ながら、他の指揮者や楽団の実演と録音を合わせ、これほど爛熟しながら、非の打ちどころがない透明感と美しさをたたえた演奏を聴いたのは初めてだ。全曲を聴き終えて振り返ると、メータの解釈と美意識はまさに「花の章」を起点に発想されたものだったと確信する。バイエルン放送響の楽員のメータへの献身、楽曲への没入も半端ではない。往年のメータのダイナミックながら外面的なマーラーは、完全に姿を消していた。
これは、凄い演奏だった。「凄い」ではなく、「素晴らしい」「美しい」の方がふさわしいのかもしれない。全身全霊を捧げたメータの衰弱は誰の眼にも明らかながら、必死の思いで客席側に椅子を回転させ、「ヨハン・シュトラウス、ポルカ・エクスプロージョン(爆発ポルカ作品43)!」と叫んでアンコールを指揮した。楽員もカーテンコールが長引いてマエストロを疲れさせないよう、早めにサッと舞台袖に引き揚げるのだが、スタンディングの拍手と歓声は鳴り止まず、メータは車椅子に乗り換えて再びステージに向かった。その時点で私は舞台袖に回り、戻ってきたマエストロにご挨拶をした。満面の笑みをたたえたメータの眼は澄みきり、後光が差して見えた。18歳で故郷ボンベイ(現ムンバイ)からウィーンに留学、ドイツ=オーストリアの名曲を血肉として音楽に奉仕してきた人生。その最終コーナーにおいて「母なるウィーン」はメータを優しく抱擁、82歳の「ズービン・ベイビー」は母の懐へと帰依した。私は「花の章」以降、涙腺の決壊を阻止できなくなった。
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