• 池田卓夫 Takuo Ikeda

メトネル&マスカーニ、ロマンティックの洪水に浸るラザレフと日本フィルの夜


プログラム表紙のイラストは小澤一雄さん

トルストイの「クロイツェル・ソナタ」を読んだ昔の記憶が蘇る。音楽作品が心の奥底まで響き、うっとりした感情を通り越し、官能の深淵を共振させてしまう力の素晴らしさ、恐ろしさを思い知るロシア文学の怖い名作だ。2019年5月17日、サントリーホールの日本フィルハーモニー交響楽団第710回東京定期演奏会は桂冠指揮者兼芸術顧問のアレクサンドル・ラザレフが「この2人の作曲家の組み合わせは相性がいい」といい、ロシアのメトネルの「ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品50」(エフゲニー・スドビン独奏)とイタリアのマスカーニのオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ(田舎の騎士道)」全曲(演奏会形式)を並べた。東京フィルハーモニー交響楽団のイタリア人首席指揮者でオペラのスペシャリスト、アンドレア・バッティストーニに日本フィル定期のチラシを見せたら、「こんなカップリング、イタリアでは見たことがない」と仰天していた。


私がドイツに住んでいた30年ほど前、ラザレフはデュッセルドルフとともにライン・ドイツ・オペラの両翼を担うドゥースブルク歌劇場の音楽総監督(GMD)だった。1995年のボリショイ劇場日本ツアーでも首席指揮者兼芸術監督としてチャイコフスキーの「オルレアンの少女」などを指揮する予定で楽しみにしていたのに、来日直前の内紛で辞任、控えの冴えない指揮者が代演し、がっかりした記憶もある。とにかくラザレフがオペラ、しかもロシア物ではなく、イタリアのヴェリズモ(写実主義)オペラの傑作「カヴァレリア」を日本フィルで指揮するのは望外の喜びであり、劇場指揮者の卓越した能力に触れる好機といえた。


前半のメトネル。先輩で直接親交のあったラフマニノフの出世作と調性(ハ短調)を共有、番号までご丁寧に「第2番」と同じだが、完成時期は1901年、1927年と四半世紀強の隔たりがある。メトネルは「自在で鋭敏なリズム」(山野雄大氏の曲目解説より)や、堅固な構成よりも瞬間ごとに変化する感情の色合いを優先したつくりなどで、より新しい時代の音を持っている。1980年サンクトペテルブルク生まれ、今年4月19日で39歳と新進から中堅の領域に足を踏み入れたスドビンのピアノには、「強靭な技巧と輝かしい音のロシアン・ピアニズム」のステレオタイプを超えた魅力がある。超絶技巧の課題は難なくクリアしたうえで、どこか湿り気のある抒情的な音の感触、移ろいゆく感情の儚さといったスドビン固有のキャラクターが確固として備わり、申し分のないメトネルの再現者だった。特に第1楽章、80小節に及ぶカデンツァのソロは力づくのかけらもなく音楽的で深く、聴き手のロマンティックな感情の高揚を誘った。もちろん、ラザレフの過不足ないサポートは万全だった。アンコールのD・スカルラッティのソナタも、味わい深い。



「カヴァレリア」でのラザレフは、練達のオペラ指揮者らしく演奏会形式のメリットを踏まえ、舞台上演では聴こえない管弦楽の様々な音を丁寧に引き出しながら、ロシア物を振るときよりもテンポの変動を抑え、大編成のオーケストラで聴くヴェリズモオペラの「肉感」を極限まで高めていく。基本アマチュアの日本フィルハーモニー協会合唱団(浅井隆仁指揮)もマエストロが放つ「ロマンの熱気」に煽られ、普段以上に情熱的なハーモニーを奏でる。キャストはトゥリッドゥがシベリア出身のロシア人ドラマティックテノール、ニコライ・イェロヒンだった以外はすべて日本人。サントゥッツァが清水華澄、アルフィオが上江隼人、ローラが富岡明子、ルチアが石井藍。幕切れで「トゥリッドゥが殺された」の一声を叫んだ赤毛の外国人女性は誰なのだろうか? プログラムにも名前はない。


清水のサントゥッツァを実演で聴くのは3回目。今回は少しコンディションが良くなかったようで、最初は声の揺れも大きく、セーブしながらの歌唱だったが、一番有名なアリア「ママも知る通り」を無難にこなした後は次第に調子を上げ、破壊的なほど巨大な声のトゥリッドゥとのデュエットで一歩も引けを取らなかったのは立派。いつも思うことながら舞台経験を積めば積むほど、日毎のコンディションに即した調整も巧みになる。日本の中堅歌手の中でも清水は早くから注目されてきた逸材だが、与えられたチャンスを逃さず、溺れず、日々研鑽を続けてきた成果が、昨夜の「ライヴ感覚」満点のサントゥッツァにも顕れていた。美声のバリトンの上江はイタリアに居を構え、ディクションも明晰な半面、いつもスロースターター気味で、今回もエンジン全開までに時間を必要とした。富岡、石井も堅実な歌。だが存在感に関しては、イェロヒンが他のすべてを圧倒した。前奏曲に続く「シチリアーナ」は舞台袖の歌唱だったので姿が見えず、第1幕第5景でようやく下手(しもて)から姿を現した途端「うわっ、体も顔もでかい」と驚き、次の瞬間には「パパイヤ鈴木に似ている!」。


イタリア語は明瞭ではなく訛りもあり、発声のメカニックはベルカント至上主義の側からは「謎」と思われそうだが、とにかく、声量が半端ではない。ラザレフがどんなに分厚いフォルテッシモを鳴らそうと、イェロヒンの声は消えないどころか、時にオーケストラの音を背後に追いやってしまう。往年のアトラントフとかガルージンとか、「オテロ」歌いとして一世を風靡したロシア人テノールの「爆演芸」をまさか、日本フィル定期で味わえるとは思わなかった。カーテンコールでは「テノール✖️✖️」丸出しで愛想を振りまき、好感度も抜群だ。すべてに過剰なロマンの洪水に浸った夜、私の行動が多少常軌を逸していたとしても「すべてラザレフと日本フィル、スドビンとイェロヒンが悪い」と、責任を転嫁できるレベルに達していた。その熱狂のなか、最後までアンサンブルの要として堅実にリードした客演コンサートマスター(今年9月には正式なコンマスに就任予定)の田野倉雅秋、「やはりオペラだと血が騒ぐのだな」と感心したソロ・トランペット奏者のイタリア人オッタビアーノ・クリストーフォリら、日本フィルのメンバーの献身的な演奏姿勢も素晴らしかった。


ロマンティックな感情の表出とはいえ、ロシア人とイタリア人では、まるで方法論が異なる面白さを堪能。アフターはマスカーニに敬意を評し、シチリアの白ワインで乾杯!


© 2018 音楽ジャーナリスト@いけたく本舗

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