サントリーホールが主催する「ウィーン・フィルハーモニーウィーク イン ジャパン2018」を率いるのは音楽監督を務める米クリーヴランド管弦楽団と今年6月にも来日、同じホールでベートーヴェンの交響曲全曲(第1〜9番)を指揮したばかりのフランツ・ヴェルザー=メスト。リンツ生まれのオーストリア人で元々はフランツ・メスト。彼の演奏を聴いて感激、マネジャーをかって出たヴェルス(Wels)地方の貴族(アンドレアス・フォン・ベニヒセン男爵)の養子に迎えられ、ヴェルザー(「〜の」の形容詞形)がつきドッペルナーメ(二重姓)になったと聞いたことがある。何故こんなことをクドクド述べたかといえば、今日(2018年11月23日)のブルックナー「交響曲第5番(ノヴァーク版)」が、瑞々しい弦の響きを重ね、管楽器の美しいトッピングを添える従来型の「ウィーン・フィルのブルックナー」とは、かなり異質の演奏だったからだ。「アメリカン・スタイルの指揮者がウィーンに殴り込み」の雰囲気すら想起させる金管楽器全開の音響をほかでもない、前ウィーン国立歌劇場音楽監督のオーストリア人指揮者が造型したのはある意味、衝撃だった。
私がウィーン・フィル日本公演を初めて聴いたのは1975年3月、高校1年の終わりだった。指揮は19世紀末(1894年)のグラーツに生まれ「オーストリア音楽総監督」の栄誉に包まれていた最晩年のカール・ベーム。ベートーヴェンの「交響曲第4&7番」に先立ち日本&オーストリア両国の国家演奏(ベームの「君が代」!)、アンコールにはJ・シュトラウス2世のワルツ「美しく青きドナウ」も奏でられた。世界の音楽ファン憧れのウィーン・フィル・サウンドの美しさ、室内楽的アンサンブル「最高の遊び」、地の底から湧き上がる音響塊の威力のすべてに驚いた。
長じてドイツに駐在してウィーンやザルツブルクへ出張、休暇に出かけたり、音楽担当になって日本公演を定期的に取材したりするようになってもなかなか「1975年の衝撃」に匹敵する感動が得られないのを長く、もどかしく思っていた。特に1990年代後半から2000年代前半の10年間は「ツアー仕様の手抜き」とまでは言わないが、響きの薄さが気になって仕方なかった。そのころ、全盛期のウェストミンスター録音のマスターテープが米国で発見され、一斉にCD化されたのを記念して往年のコンサートマスターで弦楽四重奏の名手、ワルター・バリリが来日した。インタヴューの機会を得たので恐る恐る、質問してみた。
「バリリ教授、最近のフィルハーモニカーは独自の響きが薄まっているように思えるのですが、いかがでしょうか?」
バリリはしばらく沈黙の後、
「残念ながら、あなたの指摘は正しい。私たちは戦争中も兵役免除措置に奔走しながら防空壕で集まり、ウィーンの音を守ろうとした。戦後の物のない時代も時間さえあれば家で自らの音に磨きをかけ、仲間と集まっては室内楽を究め、じっくりと音を深めることができた。最近はオーケストラだけでなく様々な室内楽チームで頻繁に世界中をツアーでまわり、ウィーンの席を温める時間が激減しているから、音の密度が薄まっているのは確かだよ」
悲しそうな表情は、今も記憶に残る。
ウィーン・フィル自体も危機意識を持ったのか、2006年のニコラウス・アーノンクールとの来日あたりから音のテンションが再び上がってきた。今日のブルックナーも、全力投球の熱い演奏。アンコールなしの70分一本勝負が潔かった。第1楽章導入部の神秘的な響きを聴いただけで、ウィーン・フィルにしか可能でない表現の領域は感知できた。だが曲が進むにつれ、本来ならもう少し甘く、美しく「ウィーンの弦」が歌うはずの場面でも金管の強靭な響きが勝る。全体ではアダージョとスケルツォの中間2つの楽章の味わいが今ひとつ、両端楽章のクライマックスが異様に盛り上がるという対照を描いた。1990年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就いたころから、ヴェルザー=メストのブルックナー解釈はマッチョでハードボイルドだったので「三つ子の魂百まで」と言わざるを得ない。アメリカ合衆国やロンドンのオーケストラでは面白いケミストリー(化学反応)をもたらすアプローチが、母国オーストリアのトップオーケストラで様々なハレーションを起こすライヴは、それなりに面白くもあるが、ウィーン・フィルの美音、特に弦には少々気の毒だった。
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