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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

メジューエワ、高橋アキ、ラナ+ネゼ=セガン&COE

クラシックディスク・今月の3点(2023年1月)


ラフマニノフ作品集

イリーナ・メジューエワ(ピアノ)

「幻想的小品集 作品3」「ピアノ・ソナタ第 2番 変ロ短調 作品36」「プレリュード 嬰ト短調 作品32-12」「リラの花 作品 21-5」「楽興の時 ホ短調 作品16-4」「楽興の時 変ニ長調 作品16-5」「練習曲〈音の絵〉 ハ長調 作品33-2」「練習曲〈音の絵〉 変ホ短調作品 39-5」「ひなぎく 作品 38-3」

2023年はラフマニノフ生誕150周年。70歳で亡くなったので、没後80周年も重なる。1歳下のシェーンベルク、2歳下のラヴェルらとの比較において「時代遅れのロマンティスト」と錯覚されがちだが、バッハ一族からモーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、リスト…と脈々受け継がれてきた鍵盤音楽史最高の後継者の1人であり、米国移住後はジャズなどの新しい音楽も取り入れながら、作風を大きく変化させてもいる。作曲はピアノだけでなくオペラや交響曲に広がり、オペラ指揮者としても有望視されただけに、音楽にとどまらない深い教養に根差し、文学性や抒情性にも事欠かない作品を数多く残した。


日本在住歴が間もなく四半世紀に達するメジューエワも母国ロシア、第二の国・日本それぞれの文学、芸術をこよなく愛し、ピアノ演奏でも強靭な技をひけらかさず、作曲者の思いや作品を生んだ時代の精神を内面から滲み出すように引き出すために駆使する。例えば「ソナタ第2番」。ピアノ・コンクールの審査員を長く勤めていると、第1楽章冒頭で力の限りを誇示して爆発、続く抒情的な部分で早くも息切れする演奏と頻繁に出くわす。メジューエワの解釈はその対極にあり、改訂版をベースに初版も適宜織り込んだ独自の構成を通じ、作品が切れ目なく語りかけてくる。1925年製のニューヨーク・スタインウェイCD135の重厚で、少し翳りのある音色が「ラフマニノフの時代」の音を一段と際立たせる。2022年8月3〜5日、富山県魚津市新川文化ホールでセッション録音。SACDとのハイブリッド盤。

(BIJIN CLASSICAL=日本ピアノサービス)


クララ・ヴィーク=シューマン「ピアノ協奏曲第1番イ短調作品7」

ロベルト・シューマン「ピアノ協奏曲イ短調作品54」/リスト編曲《献呈》

ベアトリーチェ・ラナ(ピアノ)、ヤニック・ネゼ=セガン指揮ヨーロッパ室内管弦楽団

後にシューマンと結婚するクララ・ヴィークが自身の演奏能力を前提に最初のピアノ協奏曲(作品7)を作曲したのは1833年、14歳の時だった。3つの楽章を通して演奏すること、第3楽章の濃密なロマンの香りなどにおいて、メンデルスゾーンの同じジャンルの後継に位置する。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でメンデルスゾーンが指揮した世界初演は1835年でクララが独奏、楽曲はシュポーアに献呈された。まさにロマン派音楽の王道上に生まれたといえ、ロベルトが長くピアノ協奏曲の作曲に苦吟した姿とは対照的だ。だが、クララは夫を献身的に支える道を選んだ。すべてに優秀だったクララよりも何かとアンバランス、いつも「逸脱」を伴ったロベルトの方が今や高く評価されるのは、創作とか個性といったテーマを考える上でも興味深い逆転劇だ。ライナーノートに収められたラナ、ネゼ=セガンの対談は「作曲家クララ」について多くを語っていて、面白い。


シューマン夫妻のピアノ協奏曲を1枚に収めたディスクは珍しい。ラナの潔く輝かしく良く歌うピアノをネゼ=セガン指揮COEが溌剌とした管弦楽で際立たせる。ロベルトがクララのために作曲した「音楽史上まれにみるラヴレター」のリート(ドイツ語歌曲)、《献呈》をリストがピアノ独奏に編曲した小品は今日、アマチュア・ピアニストも好んで弾くほど人口に膾炙したが、このディスクでは「豪華なおまけ」以上の意味を持ち、演奏も素晴らしい。2022年7月8〜10日、ドイツのバーデン=バーデン祝祭劇場で収録。

(ワーナーミュージック)


シューベルト「4つの即興曲作品142D.935」「ピアノ・ソナタ第15番ハ長調D.840《レリーク》」「クペルヴィーザー・ワルツD.Anhl.14(R・シュトラウス採譜)」

高橋アキ(ピアノ)

高橋アキは内外の同時代音楽のスペシャリストでありながら、サティやシューベルトなど音楽史の〝規格外〟に存在する過去の作曲家にも優しい視線を注ぎ続けてきた。カメラータ・トウキョウで取り組むシューベルトの連続録音も、これで8作目となる。


最初のトラック、「即興曲作品142」の「第1番ヘ短調」を聴こえた瞬間、高橋の自伝的著作「パルランド 私のピアノ人生」(春秋社)のタイトルを思い出した。パルランドとはイタリア語で「語る=パルラーレ」の現在進行形。大きな演奏会場の改まったリサイタルではなく、どこか小さな部屋で私のためだけ、語りかけるように弾く感触が全面に漂っている。


シューベルトを得意にするフランス人ピアニスト、ミシェル・ダルベルトにインタヴューした時「シューベルトの場合は他の作曲家と違い、誰もいない部屋で、シューベルトとだけ話しながら弾き続けていたい」と打ち明けられた。親しい語りかけと憧れ、孤独の間で揺れ動き、古典的作曲語法を放棄したようなシューベルトの音楽と付き合うには、じっくり膝を割って語り合うしかない。高橋の演奏はそうした距離感を適確にとらえ、極めて味わい深い。2022年4月14〜15日、三重県総合文化センターでセッション録音。

(カメラータ・トウキョウ)








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