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ミューザ川崎ジルベスター2020、下野と東響、宮本らで奏でた「ルイ」の勝利

執筆者の写真: 池田卓夫 Takuo Ikeda池田卓夫 Takuo Ikeda

ベートーヴェン「のようなもの」に励まされた1年

今年の大晦日(2020年12月31日)もミューザ川崎シンフォニーホールの「MUZAジルベスターコンサート」を聴きに出かけた。今年、東京交響楽団を指揮したのは広島交響楽団音楽総監督の下野竜也。アンコール前のトークで「1年半くらい前にお仕事をいただいた時は楽しいオペレッタやミュージカルを中心に、と考えていましたが、世界の状況一変を受け、生誕250周年のベートーヴェン1人に絞るプログラムにしました」と、背景を明かした。作曲者存命当時の演奏会のスタイルを踏襲、様々なジャンルの作品の全曲ではなく楽章単位の抜粋と語りでつなぎ、バリトン歌手の宮本益光が自ら書き下ろした台本の語り手を兼ねた。



宮本の独唱は歌曲「君を愛す」(中原達彦編曲の管弦楽伴奏版)のみだが、地の部分と〝ルイ〟(ルートヴィヒの愛称)の言葉を巧な声色の変化で描き分け、確かな存在感を放つ。NHKの公開収録で広響による「劇付随音楽《エグモント》」全曲演奏の語り手も務めており、下野との息はピッタリ合っている。1802年にベートーヴェンが弟たちに宛てて書いた「ハイリゲンシュタットの遺書」は、耳疾の悪化への絶望で始まりながら、次第に創作への決意表明へと展開し、「死から私を引き止めたのはただ芸術です。私は自分が果たすべきと感じている、すべてのことを成し遂げないうちに、この世を去ることはできません」と結ばれる。先週、アクロス福岡シンフォニーホールの「NCB音楽祭」(出演者ではヴァイオリンの南紫音が共通する)のプログラムに執筆した解説で私も引用したが、読むより言葉で伝えられる方が格段に説得力があり「してやられた」感たっぷり。朗読の仕事で四苦八苦する身には、宮本が素晴らしい先生にも思えた。


地元出身でミューザ川崎シンフォニーホール・アドバイザーの小川典子は協奏曲2作だけでなく、幕開けの「エリーゼのために」のソロでも核心をとらえた解釈で聴き手の耳を惹きつけた。南の「ロマンス第2番」を聴くのは福岡以来6日ぶりだが、ホールと指揮者、オーケストラの組み合わせにより、演奏がどう変化するのかを知る良い機会にもなった。先日のソナタ全曲演奏会と同様、きりりと引き締まった端正なアプローチが魅力だ。下野と東響(コンサートマスターは水谷晃、ヴァイオリンは対向配置の12型)の管弦楽は曖昧な部分を一切残さずに鳴り渡り、交響曲と協奏曲の別なく高いテンションで一貫、作曲者生誕250周年の締め括りにふさわしい格調と気概に満ちていた。世界中が出口の見えないトンネルをいまだ彷徨い続ける大晦日、多大な困難に打ち克って不朽の名曲を遺した〝ルイ〟から、大きなプレゼントを受け取った。ふと隣席の福田紀彦・川崎市長に目をやれば「いやあ、ジーンときましたよ」といい、涙ぐんでおられた。「未来の音楽家を絶やさないためにも、私たちは演奏し続けます」と語りかけた下野も含め、ベートーヴェンに鼓舞された2時間だった。


アンコールは「ピアノ・ソナタ第8番《悲愴》」第2楽章の管弦楽版(読売日本交響楽団打楽器奏者でもある野本洋介の編曲)。下野の円熟をうかがわせる、深い響きで満たされた。

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