一般市民向けの公開講座で「音楽とは何か?」みたいに大それたテーマの授業、レクチャーの講師に呼ばれたときは学生時代に愛読した作曲家の武満徹と文化人類学者の川田順造の対談集「音・ことば・人間」(1980年岩波書店=元は雑誌「世界」の連載だった)に、必ず立ち返って考える。お風呂の中で歌うとか、自分のためだけの音楽もないわけではないが、多くは他者に合図を送るとか、グループの一体感を高めるとか、人と人との間のコミュニケーションを司る場面で音楽が育まれてきた。2021年2月最後の週末に聴いた2つの演奏会は、1つがマリンバ奏者のリサイタルに夫の世界的クラリネット奏者がゲスト出演、もう1つが病にたおれた演出家に代わって歌手たちが「手づくり」でステージングを考えたオペラのハイライト上演と、形態とジャンルを異にしたにもかかわらず、深い人間愛に支えられた「絆」の尊さを目の当たりにして、心洗われるような気持ちを授かった点で共通していた。
1)ミカ・ストルツマン・マリンバ・リサイタル(2月27日、王子ホール)
※演奏曲目はトップ画像の左半分を参照。アンコールはモリコーネの「Nuovo cinema parasdiso(ニュー・シネマ・パラダイス)」だった。
マリンバ奏者・プロデューサーの吉田ミカは渡米後にクラリネット奏者のリチャードと再婚し、ミカ・ストルツマンとしてクラシックからジャズ、同時代の新作までの幅広いレパートリーを夫とともに開拓してきた。昨年は演奏家デビュー25周年の節目に当たり、2000年の東京デビュー・リサイタルと同じ会場の王子ホールをブッキングしていたがコロナ禍で延期となり、2021年2月の実現に至った。とても社交に長けた女性であり、会場には長年の友人たちのほか、前日の「とくダネ!」(フジテレビ系)にゲスト出演した縁でキャスターの小倉智昭、日本文学者のロバート・キャンベルら著名人の姿も目立った。
前半はJ・S・バッハ3曲とブラームス1曲のクラシック。うち2曲にリチャードのクラリネットが加わった。〝事故〟はミカ自身が夫の盟友ピーター・ゼルキン(ピアニスト)のバッハ演奏に啓示を受けてマリンバ独奏用に編曲して楽譜を出版、今回のリサイタルの「目玉」として告知していた「シャコンヌ」で起きた。滑り出しから不安な足取り、少し先まできて記憶クランチに陥り、何度も先へ進もうとしたが断念、「もう1度やります」といい、最初から演奏し直した。演奏会が生物(なまもの)である以上、事故自体は誰にでも起きる。今回は恐らく「節目の演奏会でバッハを弾く!」を意識するあまり、気合を入れ過ぎた結果と思われる。いきなり長大な楽曲、「無伴奏チェロ組曲第3番」のマリンバ・ソロで始めたのも演奏者、聴衆の双方にとって荷が重かった。遅刻者のことも考えれば「平均律クラヴィーア曲集第1集第1番の前奏曲」とか、誰でも知っているメロディーの短い作品で演奏者が肩を慣らし、聴衆も気楽にバッハの世界へ誘導されるといった工夫が必要だったと思われる。
2曲目、クラリネットとのデュオで奏でられた「シンフォニア第11番」で光景が一変したのはリチャードの脱力しきった演奏態度、そこからくる枯れた味わいに起因する。もう1つの原因は、ミカのクラシックのレパートリー全般にみられるレガート(滑らかな音の移行)の不足。いくら打楽器でも「縦」方向のパルシヴな音だけでなく「横」方向のフレーズの流れを作る(あるいはその幻覚=イリュージョンを与える)ことは可能だ。2度目のトライでそれなりの活力を回復した「シャコンヌ」だが、横方向のベクトルとともに増減する「うねり」の再現には不満が残った。再びデュオのブラームスではリチャードの深い歌心が一段と冴え、ミカも精彩を増したので一安心。げに恐ろしきは、バッハを演奏するプレッシャーである。はっきり申し上げて年齢、キャリアの違いもあり、現時点での演奏家としての〝格〟は一致しないのだが、舞台上で2人が見せる何気ないしぐさや、互いを思いやる風情が実に温かな空気を客席全体に送り、いつしかこちらも幸せになる感触は唯一無二の美点だろう。
後半は遥かによかった。ジョエル・ロスへの委嘱新作「パルス・ウェーヴ2020」世界初演はミカのパルシヴな奏法が最大限に発揮され、高い集中度とともに圧巻のパフォーマンスを繰り広げた。続くジョン・ゾーン「アニマ2020ーザ・ワクシング・ライト」世界初演では、かつてアンサンブルTASHIの一員として武満徹らの新曲に続々と挑んだ時代を彷彿とさせるリチャードの鋭いエッジの健在を知った。つい先ごろ亡くなったチック・コリアがミカを前提に作曲した初めてのソロ・マリンバ曲「バースデイ・ソング・フォー・ミカ2019」日本初演に先立ち、ミカは短いスピーチ。ジャズ、クラシックにとどまらない幅広い音楽語法を吸収しながら独自の創作を続けたコリアらしく、親しみやすさと深さを兼ね備えた作品であり、故人への思いもこめたミカ入魂の演奏もまた、掛け値なしに素晴らしかった。物理的な音響の〝行間〟に夫婦や家族、友人の様々な愛情が見え隠れするリサイタルだった。
2)「なにかオペラやる?」presents「愛の妙薬」(2月28日、神奈川県民ホール小ホール)
※キャストはトップ画像参照。第1部は「スペシャル・ガラ・コンサート」で、髙田が「カルメン」(ビゼー)の「闘牛士の歌」、森川が「ホフマン物語」(オッフェンバック)のオランピアのアリア、後藤が「タンホイザー」(ワーグナー)の「夕星の歌」、森川と髙田が「ドン・パスクワーレ」(ドニゼッティ)の二重唱「準備はできたわ」を歌った。
本来はイタリア語堪能な菊池裕美子が演出と言語指導を兼ね、神奈川県民ホールが昨年企画した「未来に羽ばたくオペラ歌手たちによる《トゥーランドット》コンサート」(菊池が構成を担当)に集まった歌手、ピアニストとともに「愛の妙薬」(ドニゼッティ)全曲をピアノ1台の伴奏による小ホールオペラとして、上演するはずだった。菊池は2月1日に別のオペラの稽古場で脳出血を起こして救急搬送され一命はとりとめたものの、意識は依然として回復しない。歌手たちは「公演の中止も検討した」が、「この公演開催を楽しみにしていた本人の意思を尊重し、公演内容を変更して行うことにしました」と、プログラムに記した。
みな「菊池組」と呼んでもいい新進〜中堅で、私もそれぞれの研修所時代から折に触れて聴いてきた歌手たち。髙田は終演後、「自分たちの手作り演出だったので突っ込みどころ満載だっと思うのですが…」と謙遜したが、なかなかどうして! それぞれ今まで蓄積してきた経験を持ち寄ってシャープな動きをつくり、全力投球の演技と歌、ジャンネッタの影アナウンスによるストーリーのユーモラスな紹介が一体となって精彩あふれる舞台に結晶させた。作品を手中に収め、時に演技にも加わる三澤のピアノも小劇場オペラには良く合っていた。とりわけネモリーノ役の吉田連の進境は著しく、伸びやかなベルカントテノールの美声と全身全霊の表現力で惹きつけた。最も有名なアリア「人知れぬ涙」でアリア大会風に盛り上げるのを自ら戒め、全曲ドラマトゥルギー(作劇術)の一部としてじっくり歌った節度には、出演者全員の菊池に対する思いも集約されていて、文字通り、涙を誘う名唱だったと思う。
客席には演出家の岩田達宗、太田麻衣子、テノール歌手の山本耕平、金山京介ら仕事仲間の姿が多く見受けられた(私も含め、ソーシャル・ディスタンシングでさらに客席数を絞った小ホールのキャパシティとの比較では、明らかに〝濃すぎる〟顔ぶれだ)。オペラにかかわる大勢の人々が菊池とそれぞれの絆を見つめ直し、快復への声援で気持ちを一つにする空間を共有する。とても月並みな言葉だが、やはりオペラの根本は「愛」。この場面に「愛の妙薬」ほど相応しい作品はなかったとすら最後は考えるようになり、いつも太陽のように輝くマンマ(お母さん)、菊池の得難い存在感に改めて思いをはせていた。
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