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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

マリス・トリフォノフ・吉田誠・小菅優

クラシックディスク・今月の3点(2020年11月)


「ラスト・コンサート」

R・シュトラウス「歌劇《インテルメッツォ》から4つの交響的間奏曲」

ブラームス「交響曲第4番」「《ハンガリー舞曲》第5番」(バーロウ版)

マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団

2019年11月8日、カーネギーホールでのバイエルン放響ニューヨーク公演のライヴ録音。同月末に亡くなったマリス・ヤンソンス生前最後の指揮のドキュメントだ。異様な静けさに支配されたシュトラウスからして、ただならない気配が漂う。ブラームスの「第4」はただでさえ作曲者晩年の諦念を反映した作品とされるのに、第2楽章途中あたりから全面的に死の世界へと突き進む。第4楽章は変奏の1つ1つを慈しむかのように、時に大胆なルフトパウゼ(間)も置きながらの指揮といえるが、現実は恐らく、ヤンソンスが燃え尽き崩れ落ちる寸前の肉体と無謀な闘いに挑み、切れ切れに重ねざるを得なかったのだろう。グッとテンポを落とし、見栄を切るような場面は「効果狙い」では毛頭なく、この世への去り難い思いが凝縮された瞬間だろう。これほど壮絶な彼岸への旅路を追体験するとは思わなかった。


コンサートマスターら何人もの楽員の制止を振り切り、最後の力を振り絞ってアンコールに臨んだ「《ハンガリー舞曲》第5番」。チャップリン映画「独裁者」の髭剃り場面など、コミカルに引用されることも多い超有名曲であり、普通なら悲しみや死の予感と無縁のはずだ。ところが、ヤンソンスが指揮したのは激しい慟哭の音楽であり、交響曲ではまだ微かに残っていた生への希望が完全に消え、ひたすら辞世の句として聴く者の胸を打ち涙を誘う。

(BR=バイエルン放送協会自主レーベル=ナクソス)


※あまりに特殊な演奏だけでマリス・ヤンソンスの音楽を語るのも忍びないので、壮年期の名演奏の記録も2点、挙げておく。

1)「ヤンソンス/レニングラード・フィル86年来日ライヴ」

ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」

チャイコフスキー「交響曲第4番」

2)「ヤンソンス/レニングラード・フィル89年来日ライヴ」

ワーグナー「歌劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲」

ベルリオーズ「幻想交響曲」

シベリウス「悲しきワルツ」

ワーグナー「歌劇《ローエングリン》第3幕への序奏(前奏曲)」

マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

ともにNHKの放送音源をAltusの斉藤啓介氏がリマスタリング、CD化した。ブックレットに載った山崎浩太郎、坂入健司郎両氏のヤンソンス論、演奏分析も読み応えがある。日の出の勢いで世界の楽壇に進出した当時のヤンソンス、亡くなるまで本拠を構えていたサンクトペテルブルク(当時はレニングラード)のオーケストラの組み合わせには、独特の輝きがある。随所に父アルヴィド・ヤンソンスの演奏慣習を援用、〝お家芸〟もたっぷり味わえる。

(アルトゥス&キングインターナショナル)


「シルヴァー・エイジ」

ストラヴィンスキー「イ調のセレナーデ」「《火の鳥》組曲」「《ペトルーシュカ》からの3楽章」

プロコフィエフ「風刺」「ピアノ・ソナタ第8番」「ガヴォット」「ピアノ協奏曲第2番」

スクリャービン「ピアノ協奏曲」

ダニール・トリフォノフ(ピアノ)

ワレリー・ゲルギエフ指揮マリンスキー劇場管弦楽団

シルヴァー・エイジとは19世紀末から1920年代にかけてのロシア文化の充実期を指し、フランスのベル・エポック(美しき時代)に相当するという。ディスクのブックレットには、「ロシア史の芸術におけるシルヴァー・エイジは、ひとつの美学ではなく、分断されゆく社会的、政治的、知的環境をーー扇動された相互作用による、さまざまな芸術表現のカクテルを描写しています」とするトリフォノフの言葉が引用された。ルービンシュタイン、チャイコフスキー両コンクールで第1位を獲得したヴィルトゥオーゾ(名手)であると同時に、作曲の才にも恵まれたピアニストならではの素晴らしい選曲がディスク2枚に、たっぷりと収まっている。しかも協奏曲の管弦楽ではトリフォノフの才能をいち早く見抜き、ロシア国外のキャリアを後押ししたメンター(後見人)、ゲルギエフが総裁と音楽監督、首席指揮者を兼ねるサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場のオーケストラが「華を添える」以上の働きをする。とりわけ、スクリャービンは見事な演奏だ。


ゲルギエフは11月のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団日本公演でもプロコフィエフの「ピアノ協奏曲第2番」をデニス・マツーエフの独奏で指揮したばかりなので、ピアニストとオーケストラの持ち味の違いも楽しめる。東京滞在中に私が行ったゲルギエフのインタビューは2020年12月18日発売の「音楽の友」誌1月号に載る予定だが、その折にもトリフォノフの名が出たし、マリス・ヤンソンスとの長年の友情にも話が及んだ。この秋はなんやかや、ペテルブルク楽派の音楽をコンサート、ディスクの両方で楽しんだ気がする。

(DG=ドイッチェ・グラモフォン=ユニバーサルミュージック)


ブラームス「《5つの歌曲》作品105〜第1曲《調べのように私を通り抜ける》」「《5つの歌曲》作品107〜第3曲《乙女は語る》」「《5つの歌曲》作品106〜第3曲《霜が降りて》」「作品107〜第5曲《乙女の歌》」「作品105〜第2曲《私の眠りはますます浅くなり》」「クラリネット・ソナタ第1&第2番」

シューマン「幻想小曲集」

吉田誠(クラリネット)、小菅優(ピアノ)

2020年7月29ー31日、東京都渋谷区のhakuju(白寿)ホールでセッション録音。ともに10代のデビュー当時から取材、コンクール審査で聴き続けてきた逸材ながら、学んだ場所の関係で吉田はフランス、小菅はドイツのイメージが強く、ブラームスでの邂逅までは想像が及ばなかった。2人が同様のプログラムで行った2019年の演奏会の印象に基づく、吉田純子さん(朝日新聞編集委員)のイマジネーション満点のライナーノートが、選曲と演奏の本質を見事についている。ローベルト・シューマン亡き後の妻クララ、自身の才能を世に知らしめた先輩作曲家への感謝と尊敬、クララへの秘めたる愛情の相剋に揺れ動くブラームスを軸に、クラリネット奏者のリヒャルト・ミュールフェルトやヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムらが集うサロンを思わせる凝った〝つくり〟のディスクである。


20代半ばの吉田は繊細な表現力、超絶技巧を兼ね備えた名手の器を授かりながらも、指揮やクロスオーバーにも手を広げ、なかなかクラリネットに集中しない時期があった。30歳を目前にした辺りから焦点がばっちり定まり、クラリネットの名手でもあるイェルク・ヴィトマンや藤倉大ら同時代の作曲家の良き理解者として再び頭角を現し、ドイツ音楽から深い味わいを引き出す力量も急速に蓄えた。ふだんから室内楽の共演以上に気心を通じた友人の1人、小菅をブラームスとシューマンのパートナーに選んだのも正解だ。ベートーヴェンのソナタ全曲をはじめとするドイツ音楽のスペシャリストでソロの実績も豊富な小菅が、実は室内楽の大変な名手でもある実態は、あまり知られていない。吉田の変幻自在の響きを敏感にキャッチしつつ、さらなる味わいを加えて投げ返すセンスと呼吸の見事さに感心する。

(ソニーミュージック)



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