スペインのピアニスト、ホアキン・アチュカロが3年ぶりに来日した。2022年7月3日、東京・銀座の王子ホールのリサイタル初日を聴く。1986年に新婚旅行で訪れたフィレンツェ、夜に散歩をしていたら教会で、トスカーナ地方管弦楽団がドナート・レンツェッティ指揮の演奏会を行なっていた。ちょうど休憩時間、日本人の若い(!)カップルに目をとめた係の人が「後半だけならタダでいいよ」といい、チャイコフスキー「弦楽セレナード」の情感濃厚な演奏を楽しんだ。で、「前半は何だったの?」とプログラムを見ると、アチュカロ独奏のベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」だった。名声はすでに当時、日本にも伝わっていたから以後の長年、「聴き逃したピアニスト」であり続けたが幸いにも近年、かなりの頻度で来る。今回はコロナ禍が明けず高齢でもあるから心配したが、元気に舞台に現れた。
「『ソナタ第3番』は19歳の青年の作品です。キモは第2楽章と第4楽章です。日没から月の出にかけてを描いた詩に基づく第2楽章は下がる音型、上がる音型が交互に現れ、まるで恋する若い男女の会話のようです。第4楽章にも同じ動機が現れますが、下降しかありません。調性はショパンの『葬送行進曲』と同じです。明らかな喪失の表現であり、19歳にしてこのような音楽を書けたブラームスはやはり、天才だとしか言いようがありません」
アチュカロはブラームスの「ピアノ・ソナタ第3番」を弾く前に通訳(久野理恵子さん)を介し、アプローチの基本を説明した。多くのピアニストが激しい気迫と大音量で弾きがちな第1楽章に抑制を効かせ、リピートも省いてあっさり片付け、先ずは第2楽章で大きな山(クライマックス)を築いた。スケルツォの第3楽章も第1と同じく淡々、第4楽章で再び濃密な世界を描き、第5楽章は「豪華な余韻」のように駆け抜けた。このソナタは過去数年、日本の若手もよく手がけるが、このようなアプローチは過去古今の大家を含め、ほとんど聴いた覚えのないもので、アチュカロというピアニストのかけがえのない個性を示した。
後半のリストも「愛の世界」の探求。ラフマニノフの基本も美しく傷つきやすい詩的な音楽ながら、「鐘」の前奏曲では超絶技巧を一気に解き放つ。「お国もの」のグラナドス、アルベニスの精彩もまた、格別だ。アンコールはスクリャービン2曲。とりわけ「左手のための夜想曲作品9の2」は、左手だけの演奏とは思えないソノリティの豊かさで唖然とした。
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