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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

ブラウティハムのフォルテピアノ、鍵盤音楽の発達史に迫る

更新日:2020年3月19日


考え抜かれたシンプルな選曲

2019年5月15日。首都高速道路芝浦入口の「護国寺まで断続渋滞」の電光表示にびびり、自宅から小石川のトッパンホールまで一般道を使い、開演ぎりぎりに着いた。席に座ろうとした途端、「池田さん、お久しぶりです」と女性の声。もと勤め先の後輩で退社後に美術史を修め、現在は大学で文化財の授業をしている人だ。お母さんと2人連れ。「あなた、元気そうね」と言葉を継ぐ母親の声には、もちろん聞き覚えがある。田中真紀子さんである。もともと音楽好き。自宅も近いので、最近はトッパンホールのメンバーらしい。議員を辞められ、柔和な表情になられていた。かそけき音のピリオド楽器、フォルテピアノのロナルド・ブラウティハムを聴く前にしては随分、ゴージャスなセレモニーが待ち受けていたものだ。


プログラムは実に端正。前半も後半もハイドン→ベートーヴェンの順にソナタを2曲ずつ。前半はハイドンの第49番変ホ長調とベートーヴェンの第3番ハ長調、後半はハイドンの第52番変ホ長調とベートーヴェンの第21番ハ長調「ヴァルとシュタイン」と、シンメトリーの構成。中村孝義さんの解説を引用すれば、「ベートーヴェンの宿命の調性ともいうべきハ短調の同主調であるハ長調の2曲のソナタを核に据え、そこに師ハイドンによる、ハ短調の平行調である変ホ長調の2曲を配するなど、なかなか考えられたプログラム」である。使用したフォルテピアノはアントン・ワルターの1800年ごろのモデルを2002年、ポール・マクナルティが製作したレプリカ。音量も音色も、トッパンホールに十分のパワーを備える。


J・S・バッハの死(1750年)から半世紀も経たないうちに鍵盤楽器は目覚ましい進歩を遂げ、ハイドンからベートーヴェンの時代にかけてはソナタ形式の発展とともに、楽曲の構えもどんどん大きくなっていったーーそんな実態を再現芸術の側から現代へ、見事によみがえらせた演奏解釈だった。ブラウティハムの手にかかれば、ハイドンのアイデアは一般に考えられている以上に雄大で実験精神に富み、ベートーヴェンはその後継者として、一層の飛躍を時に無謀と思えるほどに大胆な切り口で試みたという軌跡が浮き彫りになる。前半と後半それぞれの組み合わせは調性の妙だけではなく、2人の作曲家が究めようとしたポイントの類似性も踏まえ、周到に考案されたものだ。ベートーヴェンの第3ソナタがこれほど面白く聴こえたのは、私には初めてだった。単なる鍵盤楽器のソナタを超え、交響曲に連なる構造や和声の追求が、はっきりと見えてきた。


私は長く、「ヴァルトシュタイン」をバルトークやプロコフィエフにつながる鍵盤の「打楽器的側面」強調型ソナタの〝始祖〟と考えてきたが、昨夜で大間違いを悟った。後半2曲を短い間隔で弾き続けた結果、ハイドンから与えられた刺激をベートーヴェンが独自の語法で熟成させ、より印象的な形に具現化したプロセスが前面に出た。しかもモダンピアノのフルコンサートグランドによる再現と比べ、音色の移ろいや旋律の美しさで際立ち、「ヴァルトシュタイン」の爆演にありがちな騒々しさが消え失せた。とりわけ第2楽章から第3楽章へ移行する部分の神韻縹渺(しんいんひょうびょう=表現しがたいきわめてすぐれた奥深い趣=三省堂「新明解 四字熟語辞典」より)とした感触に、息をのんだ。


アンコールはベートーヴェンのソナタ第8番「悲愴」の第2楽章。日本の音楽大学でピアノを教える友人の話;「新入生に《悲愴》全曲を弾くように言ったら『第2楽章は勉強したことがない』と返され、参った。『コンクール受験には両端楽章だけで十分』と、それまでの先生に言われていたらしい」。ブラウティハムの淡々と美しく、深い意味と味わいを秘めた名演を聴きながら、この困ったエピソードを思い出し「そもそも『音楽をする行為』自体の捉え方が徹底的に違うのではないか」と感じた。理性と感性の素晴らしい交差点に立つ再現芸術家の、最良の仕事に触れた一夜だった。



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