2019年9月21日。午後2時からは東京芸術劇場のセバスティアン・ヴァイグレ指揮読売日本交響楽団(読響)演奏会で1946年生まれのルドルフ・ブッフビンダー、午後7時からはすみだトリフォニーホールで1965年生まれのシュテファン・ヴラダーのリサイタルと、世代を異にするウィーンのピアニスト2人を聴いた。片や「弾き振り」はしてもピアニスト専業、片や沼尻竜典の後任としてドイツのリューベック歌劇場音楽総監督(GMD)に就くなど次第に指揮者の比重が増加という大きな違いがあり、それが演奏の完成度を左右した。
正直に告白すれば長年、ブッフビンダーを過小評価してきた。ウィーン・フィルハーモニーを弾き振りしたベートーヴェンのピアノ協奏曲や、サヴァリッシュやメータの指揮で聴いたブラームスの協奏曲など、過去に聴いた演奏がピンとこなかった記憶もあり、「アルフレッド・ブレンデルが引退して最も得をしたピアニスト」などと、失礼なことを考えていた。「音楽の友」誌に通訳なしの急なインタビューを頼まれ、読響練習場に少し早めに着くと、ヴァイグレとのリハーサルが佳境。ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第4番」は確認を兼ねて軽く流す練習モードにもかかわらず、実に自然な様式感と融通無碍な運び、美しい音色で強く惹きつけられた。続くインタビューも非常に充実した内容ながら、冗談好きのウィーン人そのものの爆笑の連続。「ああ、このノンシャランとしたヴィーナリッシュ(ウィーン調)が根底にあるから時々、自分の好みと乖離してきたのだな」と理解した。ドイツ語圏には「若いころボーッとしている人間が大成する」といった意味のコトワザがあるのだが、読響練習場で目の当たりにしたブッフビンダーの進境は、最後に神様が微笑んだ典型だろう。
果たして本番テンションを得て、ブッフビンダーのピアノ芸術(Klavierkuenst)は最高潮に達した。鍵盤を「叩く(schlagen)」のではなく「押す(druecken)」感じのドイツ=オーストリア圏伝統の奏法を基本にピアノをじっくりと歌わせ、木の肌触りを思わせる自然な音色を美しく立ち上げ、独特の香気を放つ。とりわけ右手の高音のトリルの美しさに、耳を奪われた。初共演の読響、ヴァイグレもここではピアニストの引き立て役に徹していた。アンコールの「悲愴」ソナタ第3楽章の精彩、くっきりした和声感も大家の仕事だった。
後半はマーラーの「交響曲第5番」で、こちらもウィーンの音楽。ヴァイグレのアプローチはユダヤ的でも新古典主義的でもなく、オペラ指揮者の現場体験を生かし、ドラマトゥルギーの追求に徹していた。緩急の変化が激しく、音量と感情表現の振幅を極限まで大きくとりながら、管楽器のソロをはじめとする様々な「声」をくっきりと浮かび上がらせる棒さばき。それは「歌手のいない人間ドラマ」の域に達していて、天国も地獄も的確に描いた。
一方、ヴラダーは「最後のソナタ」と題してハイドンの第62番変ホ長調、ベートーヴェンの第32番ハ短調、シューベルトの第21番変ロ長調と作品の完成度、調性の並び、未来志向の感触など、すべての面において納得がいく素晴らしいプログラムを用意した。指揮のキャリアも順調に伸ばしつつ、ウィーン国立音楽大学ピアノ科教授も務めていて目下、ウィーン楽壇を代表するフィグア(人物)の1人であることは間違いない。1985年のベートーヴェン国際コンクールに優勝してキャリアが開けて以来、30年以上一線で活躍してきた。私も20年ほど前にインタビューして、ソロや協奏曲の実演も何度か接し、室内楽のCDを愛聴してきた。瑞々しく真摯、作品の奥底に自然体でスーッと入っていく音楽性は今も健在どころか、深みを増している。奏法に関してはブッフビンダーと19歳の年齢差の間のどこかに断層があるらしく、明らかに異なる。「押す」よりは打楽器的に「叩く」を基本としている。
ピアニスト専業の時代は練習も十分に行なっていて、音色の細やかなコントロールと一体の打鍵だったはずが、今は以前ほど練習時間を確保できないまま、オーケストラ並みのダイナミクスをピアノにも求めているようで、激しく叩けば叩くほど、音が濁るのには閉口した。それでもハイドンの斬新なアイデア、ベートーヴェンがついに獲得した音楽の自由、孤独も死も超越して自分自身との対話に徹するシューベルト最後の境地の描き分けは巧みで、緊張の糸を一瞬も切らさないのは称賛に値する。もう少し、ピアノをさらってくれたら、もっと素晴らしい音の世界が広がったはずだ。アンコールはリストの「コンソレーション第3番」で、はっきりと聞こえる日本語で題名を告げた。余談だが、ベートーヴェンの第2楽章の一番いいところで、補聴器のノイズが重なった。「聴覚障害が最終段階にあった作曲家の状況に照らせば、様式的には正しい?アクシデントだろう」と口走ってはみたものの、参った。
Comentários