• 池田卓夫 Takuo Ikeda

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団と樫本大進


コロナ禍突入以降、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とプラハ・フィルハーモニアに続き、久しぶりに日本を訪れた外国オーケストラ。ドイツからは2020年以降初めてとなる。ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団は中世以来の音楽文化の蓄積を基盤に1827年、現在の態勢を整えた老舗で、ケルン市立劇場オペラの管弦楽団を兼ねる。オペラは1992年2月に日本公演を行なったが、ギュルツェニヒ管単独のツアーはその少し前、今は廃業した神原音楽事務所がモーシェ・アツモン指揮、クラウディオ・アラウ(ピアノ)のソロで計画したのが立ち消えとなり、今回が初となる。私が最初に聴いたのは1980年代末のケルン。歌劇場ではなく、コンサートホールのフィルハーモニーで当時の首席指揮者マレク・ヤノフスキが1年に1作ずつ手がけていたワーグナー「ニーベルングの指環」の演奏会形式上演だった。当時のギュルツェニヒ管は「西ドイツで最もバイロイト祝祭管弦楽団への参加楽員が多いオーケストラ」と目され、地の底から湧き出て全身にガツンとくる重量級のサウンドが圧巻だった。現在のフランス人首席指揮者フランソワ=グザヴィエ・ロトの引き出す音はキリリと軽やか。でっぷりと太った中高年のドイツ人男性が目に付くマッチョな楽団、の記憶が残っていたので今回、若い女性の目覚ましい活躍にも驚いた。


2022年7月2日、ミューザ川崎シンフォニーホールのツアー初日に奏でられたのは:

ベートーヴェン「《レオノーレ》序曲第3番」

サン=サーンス「ヴァイオリン協奏曲第3番」(独奏=樫本大進)

ソリスト・アンコール;J・S・バッハ「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番」から「ルール」

シューマン「交響曲第3番《ライン》」

アンコール:ベルリオーズ「歌劇《ベアトリスとベネディクト》序曲」


本編3曲はもちろん、樫本のアンコールに至るまでの全曲が「第3番」というマニアックな名曲プログラム。弦はヴァイオリンを左右に分け、コントラバスを下手(客席から見て左)側に置く対向配置でヴィブラート控えめ、基本2管、ベートーヴェンでは小ぶりの古典ティンパニ、他はモダンタイプと使い分けるなど適度にピリオド志向を取り入れつつ、シューマンのホルンは5本に増強、時代やホールのサイズを踏まえた編成を細かく計算していた。《レオノーレ》のファンファーレのトランペット・ソロは3階席から響かせ、弦の最弱音は首席2人だけで弾かせるといった工夫を随所に仕掛け、1曲目から実に興味深い展開だ。


樫本はベルリン・フィルのコンサートマスターだけにドイツ音楽のイメージが強いが、少年時代にロシア人教師ザハル・ブロンの英才教育を受け、パリのロン=ティボー国際音楽コンクールにも優勝したオールマイティーのヴィルトゥオーゾ(名手)の本質は揺るがない。サン=サーンスにおいても卓越した技を楽曲の1箇所たりとも歪みのない再現に捧げ、間然とするところのないソロで魅了した。あるところで啖呵よろしく見栄を切り、ドスの効いた音でフランス音楽の粋を冒涜するソロを聴き、辟易した直後だったから余計に溜飲を下げた。


シューマンの《ライン》。第4楽章で金管が奏でるコラール風の旋律はケルンの枢機卿就任式から霊感を得たとされ、フィルハーモニーの開演を告げるファンファーレにも転用されるなど、ギュルツェニヒ管の「ご当地シンフォニー」「名詞代わり」に当たる作品だ。ロトは第1楽章こそ自然体で始めたが、第2楽章に入るとリズムの刻み方(とりわけ下から上に跳ねるリズム)、フレージングに独自の分析が加わり、第3楽章の細やかな木管の色合いともども、とても新鮮に感じられた。第4楽章の仄暗い響きに意表を突かれつつ、喜びの瞬間が突如として不安に転じるシューマンの屈折した心理に思いをはせた。第5楽章ではギュルツェニヒ管が蓄積してきたドイツの伝統とロトの知性が見事な昇華(Aufheben)を遂げ、深く心に刺さる音楽になった。とりわけ金管楽器の厚く、輝かしい音の重なりが印象に残る。


鳴り止まない拍手に応え、ロトが語り出した。「ギュルツェニヒ管は長い歴史のあるオーケストラで、多くの作曲家が実際に関わっています。シューマンは概ねケルンに住んでいました。ベートーヴェンは概ねボン。これから演奏する作曲家はケルン出身ではありませんが、ここで指揮をしました。ベルリオーズです」。《ベアトリスとベネディクト》序曲は《ライン》と逆のベクトル。ロトの世界にオーケストラがグッと引き込まれ、華やかなベルリオーズの醍醐味で締めくくった。

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