
ウィーン・フィルとベルリン・フィルの精鋭中心の7人がライトな音楽をご機嫌に奏でる「フィルハーモニクス ウィーン=ベルリン」の2018年日本ツアー最終公演を神奈川県大和市の大和市文化創造拠点シリウス「1階芸術ホール メインホール」で聴いた、いや「子供たちのための公開リハーサル」の司会・通訳に雇われた役得で、本番にもご招待された。ホールと図書館、生涯学習センター、スターバックスなどを美しく1つの建物に収めたシリウスは最先端の公共施設建築として、全国から視察者が切れ目なく訪れているという。

現在のメンバーはベルリン・フィル第1コンサートマスターの米国人ノア・ベンディックス=バルグリー(ヴァイオリン)、元ウィーン・フォルクスオーパー第1コンサートマスターで編曲も巧み、ヴォーカルまで披露するセバスティアン・ギュルトラー(同)、ベルリン生まれのドイツ人だがウィーン・フィル団員のティロ・フェヒナー(ヴィオラ)、ウィーン・フィルからベルリン・フィルに移籍したオーストリア人でギュルトラーと並ぶ編曲の達人のシュテファン・コンツ(チェロ)、ハンガリーの民族音楽一家の出身でウィーン・フィルの首席を務めるエーデン・ラーツ(コントラバス)、1年前に亡くなった父(元ウィーン・フィル首席)も弟(ベルリン・フィル首席)も同じ楽器を吹くウィーン・フィル首席ダニエル・オッテンザマー(クラリネット)、アンサンブルの要を担うクリストフ・トラクスラー(ピアノ)の7人。フェヒナーは日本の女優、中谷美紀との結婚で一躍「時の人」になったが、まさに「好事魔多し」、怪我をして来日を断念した。編曲名人たちがヴィオラ・パートを巧みに補いながら6人のツアーに臨み、オッテンザマーのユーモア満点のMCをドイツ語通訳の第一人者、松田暁子さん(素敵なお姉様!)が日本語で伝える形で進行した。
思えば2003年。父エルンストと親子クラリネット・デュオのツアー(ピアノは足立桃子)で来日した17歳のダニエルと初対面したときも、私の仕事は福島県内での演奏会のMCと通訳だった。終演後、山間部の温泉に泊まり、私の赤い車を見るなり「僕も、こんな車に乗りたいな」と目を輝かせていた少年も、今や32歳。亡き父の跡を継いで立派にウィーンの首席を担っているので、きっと、もっと上等な車を乗り回していることだろう。変わらないのは音楽に対する少年時代以来の好奇心。客席に向かって思いっきり胸襟を開き、情熱的でノリのいい演奏で熱狂へと駆り立てていくムードメーカーぶりは、なかなかのものだ。舞台裏でも全員が子どもの修学旅行みたいな雰囲気で延々、笑いの絶えないお喋りに興じている。
公開リハーサルは20分の演奏、20分の質疑応答。大和市民限定で応募した300人あまりの親子たちは最初から、フィルハーモニクス の6人を「お友だち」(失礼!)と直感したようで手拍子、笑いが自然に起きた。最初に質問した男の子が「《エーデルワイス》も演奏するの?」と言ったのを訳すともう、演奏が始まった。本編のアンコールの最後に同曲を含む「サウンド・オブ・ミュージック」のメドレーを選ぶなど、なかなか真剣に対応する。「ピアノのお兄さん、どうして脚を組んでいるの?」と女の子に尋ねられたトラクスラー、まず日本語で「ゴメンナサイ」と言い、「リハーサルでリラックスしていただけ。本番では組み脚しないで、ちゃんと弾くよ」と照れていた。彼は今回、赤いスーツがトレードマークのフェヒナーの代役も務め、本番では「そこそこはカッコ良かった」(オッテンザマー)。最後に「音楽をしていて、最も重要なことは何ですか?」と女の子が尋ねた瞬間、ほぼ全員が即座に「好奇心!」と返した部分に、このユニットの個性がしっかりと刻まれていた。
本番はもちろん、「楽しい!」の一語に尽きた。最高の技を持った6人が互いを信頼しきり、ジャンルの壁を易々と超え、即興性に富んだセッションを繰り広げるのだから、何も悪いことはない。私にとっても、最高の日曜日だった。
Comments