「ドイツ語圏ヴァイオリニスト強化月間」の最終公演は2019年10月29日、王子ホール主催のイザベル・ファウスト。ピアノは長年のパートナー、モスクワ出身のアレクサンドル・メルニコフである。1曲目のドビュッシーの「ヴァイオリン・ソナタ」が1907年、2曲目のバルトーク「同第1番」が1921年、休憩をはさんで3曲目のストラヴィンスキー「デュオ・コンチェルタンテ」が1932年、最後のフランク「ヴァイオリン・ソナタ」だけが1886年と19世紀の所産だが、4曲すべての作曲が19世紀末から20世紀にかけての46年間に収まっている。アンコールのストラヴィンスキー「歌劇《マヴラ》」からの「ロシアの歌」も1922年作曲で見事、この枠内に入った。
ロシア出身のプロデューサー、セルゲイ・デイアギレフが1909年にパリのシャトレ座で旗揚げ、1929年に彼の死とともに活動を終えたバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)にはドビュッシーもストラヴィンスキーも関与、無縁だっったバルトークにしても、1926年初演のバレエ音楽「中国の不思議な役人」の極端に表現主義的な内容でストラヴィンスキーの「春の祭典」に負けず劣らずの物議を醸している。非常に洗練されたファウスト&メルニコフのデュオリサイタルのどこかに謳われているわけではないが、プログラミングの背後にはディアギレフの影が濃厚に見え隠れする気がした。
1990年代前半の北九州国際音楽祭で初めて接したファウストはすでに1級の室内楽奏者だった。その後、大ホールでの協奏曲の演奏にも数多く接したが、やや小さめの音量はやはり、中小規模の会場での室内楽や無伴奏に最も適しているとの印象は覆らなかった。「ハルモニア・ムンディ」レーベルから続々と発売された名盤の数々が立証するように、メルニコフはチェロのジャン=ギアン・ケラスと並び、ファウストが最も信頼する室内楽のパートナーだった。ドビュッシー、フランクのソナタは最も直近の新譜に含まれていて、作曲当時のピアノを採用するメルニコフの見識にも感心した記憶がある。
冒頭のドビュッシーは先週、インゴルフ・トゥルバンのマスタークラスでピアノのサヴァリッシュ朋子とともに通訳を担当したばかりの作品なので、ファウストの解釈の彫りの深さも瞬間的に理解できた。音色も美しく吟味され、表現力豊かなピアノと一体で、素晴らしく濃密な音楽を奏でた。ストラヴィンスキーも同様の出来栄え。ところがバルトーク、フランクのソナタではメルニコフが「あの手この手」で仕掛けてくるにもかかわらず、ファウストは楽譜の法(のり)を厳格に守り、堅固な造形に徹する。バルトークはそれでも一定の調和が保たれていたのに対し、フランクでは最後の第4楽章に至ってファウストが熱狂地帯に突然参戦した結果、ややヒステリックな音楽に一変したのが惜しい。余談だが、バルトークの第1ソナタはファウストが1996年に録音したデビュー盤に含まれ、国内初発盤のライナーノートを執筆させていただいた思い出がある。
今年はフランクの当たり年で、10月だけでも他にサラ・チャン、泉里沙の演奏があった。メルニコフは他2公演に比べても別格で、フランクのピアノパートからこれほど多くのニュアンスを引き出し、循環形式の「ゆらりゆらめきつつ上昇する」感を様々な角度から盛り上げていった例は稀有である。29歳の作曲家&ピアニストの山中惇史が今日、「伴奏というと兎角音量バランスを気にしがちだけれどいつも思い出すのは《音量、表情まで殺した音は何よりもうるさい》という金言です」とツイートしていたが、メルニコフはその真逆の究極だった。デュオパートナーでの来日が多いが、そろそろソロリサイタルを聴いてみたい。
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