田崎悦子が今年の春秋2回シリーズで企画したピアノリサイタル「三大作曲家の愛と葛藤」はショパン、シューマン、リストとロマン派を担うほぼ同年齢の3人の傑作を正面から見据えた。9月に77歳、喜寿を迎えた。私が新聞社の文化部編集委員時代に「私の履歴書」を担当した昭和の大ピアニスト、園田高弘は75歳記念リサイタルにもプロコフィエフの「戦争ソナタ」を弾くなど、最後まで攻めの姿勢を崩さなかったが、翌2004年に亡くなった。いつも若々しくスリムで、皆から「悦ちゃん」と呼ばれ愛されている田崎が、園田の没年を超え、現役バリバリの演奏を続けているのは何より、喜ばしいことだ。
田崎は「私、最後の作品ばかり並べた遺言シリーズを何度か手がけたけど、自分にはまだリスクをとる力があるし、最盛期のエネルギーあふれる作品が抱える葛藤が何より好きだから」といい、重量級の作品に挑み続ける。5月、リストのソナタで評判をとった初回はオーストリア・グラーツへの出張取材で逃し、10月13日、東京文化会館小ホールの第2回を聴けた。前半がショパンの「夜想曲作品72の1遺作」「マズルカ作品6の2、17の4、24の2、67の4遺作」、シューマンの「クライスレリアーナ」、後半がリストの「巡礼の年第2年イタリア」全7曲。
2年ぶりの実演に接し、まず驚いたのは、演奏中の身体動作の無駄がますます削ぎ落とされ、長年の研鑽で究めてきた独自の奏法が完全な脱力の域に到達した実態である。ゲオルク・ショルティ指揮シカゴ交響楽団のように巨大音量&音圧のオーケストラとプロコフィエフ、バルトークの協奏曲で共演した時代の強靭な打鍵、鋭い音の立ち上がりに変わりはない。今はそれを「伝家の宝刀」の位置に回し、すべての表現テクニックが音楽の内面を探り、作曲家の肉声を聴き、たっぷりの愛情とともに聴き手へ届ける方向に機能する。左手の厚みのある低音は健在だが、右手の高音の透明度や輝きは増している。
瞑想的な響きの立ち上ったショパン、求道者の視線で最後の着地点を最初からしっかりと見つめたシューマンも良かったが、喧騒や自己顕示に背を向け、暖かく柔らかな音色でリストの(音による)話芸の世界をとことん再現した「巡礼の年」は圧巻だった。特に第7曲「ダンテを読んで」は最近しばしば、音楽コンクールの課題曲にもなり、審査員として、ただひたすら叩き続ける大音量と自己陶酔の拷問に何度も耐えてきただけに、テキストを読みきり、軽やかに飛翔する精神世界を描いた田崎に、ベテランピアニストの至芸をみた。
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