• 池田卓夫 Takuo Ikeda

バッティストーニ? ストコフスキー?


おしまいは、いつもタオル。そりゃあ、汗もかくだろう。

首席指揮者アンドレア・バッティストーニと東京フィルハーモニー交響楽団の第914回サントリーホール定期シリーズを2019年1月23日、同ホールで聴いた。特にテーマを掲げてはいないが、前半にデュカスの「交響的スケルツォ《魔法使いの弟子》」とザンドナーイの「あるお伽噺の印象《白雪姫》」、後半にリムスキー=コルサコフの「交響組曲《シェエラザード》」(ヴァイオリン独奏はコンサートマスターの三浦章宏)という並びは明らかに、メルヘンの世界。アニメーションを伴わない音のディズニーワールド風であり、「魔法使いの弟子」と「シェエラザード」はオーケストラの魔術師と言われた20世紀の大指揮者、レオポルド・ストコフスキー (1882〜1977)の十八番だった。ストコフスキー はディズニー映画「ファンタジア」の音楽を担い、自らも出演してミッキーマウスと握手したが、今夜はバッティストーニがミッキーマウスか何か、ディズニーのキャラクターのように見えた。


名曲2作の谷間に置かれた「白雪姫」はオペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」で有名なイタリア人作曲家リッカルド・ザンドナーイ(1883〜1944)が1939年に作曲しながら、初演は死後の1951年のローマ歌劇場と、数奇な運命をたどったバレエ音楽。ピアノとチェレスタ、ハープを重ねて意表を突く衝撃音を出すなど、「どこかレスピーギを思わせる」と終演後の楽屋で感想を述べると、バッティストーニは「それだけじゃない。ラヴェルもドビュッシーも…。同時代の色々な音が聴こえてくるよ。面白い作品でしょ?」と答えた。かつて私がクラウディオ・アバドやリッカルド・ムーティら先輩世代のイタリア人指揮者にインタビューすると必ず、「イタリアの聴衆の多くはオペラにしか関心を持たないけど、同時代の管弦楽曲や室内楽曲、器楽曲にも隠れた名曲が山ほどある」といい、それぞれにお気に入りの近現代の作曲家の名を挙げた。バッティストーニもイタリアから来た東京フィルの首席指揮者として、自国の優れた管弦楽作品を紹介するミッション(使命)を認識している。


「シェエラザード」。なぜか今月、東京では山田和樹と読売日本交響楽団、トゥガン・ソヒエフとNHK交響楽団も手がけ、三つ巴のたたかいの様相を呈している。先週、同じホールのソヒエフはリムスキー自身も担ったサンクトペテルブルク楽派の伝統を丁寧に解き明かしつつ、深い呼吸と温かな響きで魅了したが、N響には珍しい管楽器のソロの乱れが頻発し、驚いた。対するバッティストーニはフランスのデュカスらと並ぶ近代管弦楽法のマスターとしてのリムスキーの位置付けを、ソヒエフのように先行するグリンカ時代からの時系列ではなく、後のストラヴィンスキーの角度から検証する発想自体が(良い意味で)若々しい。応える東フィルは全力投球。三浦のスリムでしなやかなソロも良かったが、何と言ってもバッティストーニと同国人であるアレッサンドロ・ベヴェラリの表情豊かなクラリネットが、完璧な狂言回し役を演じ見事だった。おそらくファゴット、ホルン、チェロなど他のソロに関してもバッティストーニが極めて細かな指示を与え、美意識の統一を図ったのではないかと思われる。弦の厚みこそN響に軍配が上がるが、管のソロでは当夜の東フィルが上だった。


それにしても「シェエラザード」みたいに〝濃い〟曲で「演歌風」の妙な節回しを断ち、パリッとヨーロッパ風の乾いたサウンドでリムスキーの管弦楽の再現に徹するあたり、日本のオーケストラも随分洗練されてきたと思う。非常に面白い音楽体験だった。同じプログラムの演奏会は25日19時に東京オペラシティコンサートホール、27日15時にBunkamuraオーチャードホールでもある。




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