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ハーディグ&MCO@すみだ〜彼岸への祈りに満ちた「ロマンティック」

執筆者の写真: 池田卓夫 Takuo Ikeda池田卓夫 Takuo Ikeda

2019年3月13日、すみだトリフォニーホール。「すみだ平和祈念音楽祭」最終日はダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ(MCO)が担った。先日書いた通り、ハーディングは東日本大震災当日の2011年3月11日、新日本フィルハーモニー交響楽団定期演奏会を指揮するためにここ、すみだトリフォニーホールにいた。震災後の混乱をおしてホールに集った100人あまりの聴衆のためにマーラーを奏でたハーディングは3ヶ月後に再来日、新日本フィルとともにエルガーの「エニグマ」変奏曲の第9変奏「ニムロッド」を震災犠牲者のために捧げた。今日のコンサートも「ニムロッド」で始まった。ソルボンヌ大学で音楽学を学びながら、トリフォニーホールのトレイニーとして研修中の八木宏之さんが書いたプログラム解説は「『ニムロッド』の変ホ長調の響きとその余韻は、コンサートの最後まで貫かれる重要なものとなるだろう」と、後半の曲目であるブルックナーの「交響曲第4番変ホ長調《ロマンティック》」への強い連関を指摘する。「ニムロッド」の指揮を終えてからかなり長い間、ハーディングは腕を下ろさず、MCOのメンバーも静止。客席はあたかも黙祷を捧げるかのように、沈黙を守った。素晴らしい祈りの時間に、感じ入る。


前半のメインはシューベルトの「交響曲第3番ニ長調」。明るく堂々とした調性のニ長調がシューベルトにして例外的な幸福感をふりまき、オーボエの吉井瑞穂をはじめとする管楽器のソロが楽しさを増幅する。1990年代初頭、ハーディングのメンターだったクラウディオ・アバドがヨーロッパ室内管弦楽団とシューベルトの交響曲全集をドイツ・グラモフォンに録音して以降、シューベルトは過激で未来志向の異端児としての生命を取り戻した。ハーディングも矛盾は矛盾のまま、18歳時点の作曲家の「生」の謳歌を率直に再現した。


そして「ロマンティック」。最初に聴いたのは今から40年以上前、東京文化会館の改修に伴って日比谷公会堂へ会場を移した東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で、クルト・ヴェスの指揮だった。以後、国内外で様々の指揮者とオーケストラによる同曲異演を聴き続けたが、今回のハーディング&MCOは過去どの演奏とも、全く様相を異にしていて、本当の「隔世の感」に満ちていた。第1ヴァイオリン12型と小ぶりの編成ながら弦は豊かに鳴り、金管楽器の輝かしい響きにからみつつ、木管楽器の目覚ましいソロを際立たせる。「原始霧」などの表現でブルックナーの神秘を安易な自然観照へと置き換える道に決然と背を向け、後期ロマン派から近代音楽へと至る時代の先端音楽として、すべての音を立たせ、極めてクリアな音像を提示する。私がかねて抱いてきた「天啓がブルックナーの歪みなくまっすぐなパイプを通り、聴衆へとダイレクトに降りてくる」とのイメージを、ほぼ完全に具現した演奏だ。最も驚いたのは第2楽章。極めて厳しい宗教曲に等しく、深い祈りの世界に沈潜、ほとんど彼岸の音楽といえた。シューベルトが生だとしたら、このブルックナーは死の境地にたびたび接近している。一夜の演奏会を通じて彼岸と此岸、エロスとタナトスを私たちは何度も往復。静まり返った客席が、衝撃と感動の同時体験を素直に物語っていた。


楽員の退出後も拍手は続き、ハーディングは素晴らしいソロを披露した首席ホルン奏者を伴い、再び舞台に出た。今年は24歳のハーディングがフランスのエクス・アン・プロヴァンス音楽祭日本公演、ピーター・ブルック演出の「ドン・ジョヴァンニ」(モーツァルト)を指揮するために初来日して以来、20年の節目の年に当たる。舞台袖に引きあげたダニエルに、「20周年おめでとう。素晴らしい演奏だったよ」と声をかけた。日本最初のインタビュアーとして、私との付き合いも20年。一歩ずつ巨匠への道を歩んでいるのがうれしい。



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