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  • 池田卓夫 Takuo Ikeda

ノット指揮東響、デュオ二ソスとアポロの対話

最終更新: 2018年11月11日


モーツァルトとストラヴィンスキー、ベートーヴェン。今日の名曲コンサートでは珍しくもない組み合わせだろう。だが「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」がモダン楽器12型の中編成で座席数約1600席の大ホールでタクト(指揮棒)を持った専業指揮者つき、ヴァイオリン協奏曲がベートーヴェンではなくストラヴィンスキーのニ調、交響曲がベートーヴェンの第4番となると、かなりレアな選曲と言わざるをえない。東京交響楽団の東京オペラシティシリーズ第107回(2018年11月10日)は第3代音楽監督ジョナサン・ノットの音楽的趣味の洗練、教養の高さ、現代感覚、そして何より優れた統率力を実感させる秀逸な演奏会となった。帰り道に出くわしたアシスタント・コンサートマスター、廣岡克隆が「いやあ、きついプログラムでした」と漏らした通り、この3曲を限られたリハーサル時間で仕上げるのは、共同作業5シーズン目を迎えた音楽監督が自らとオーケストラに課した高いハードルだったに違いない。過酷ともいえるシェフの要求を克明に響かせた楽員の献身も、すごい。


弦楽器のみの「アイネ・クライネ」。オーケストラ事務局の話では「ノットが一番入念に再現手法を検討していた」という。果たして、極端なピリオド奏法を避け、大ホールのモダン楽器演奏にふさわしいダイナミクスを保ちつつ、アーティキュレーションやフレージングにはピリオド楽器を念頭においた処理を施していた。半面、あまりの熟考のせいかブレスの自然さが些か損なわれたのは「名誉の負傷」の範疇として、大目にみてあげようかと思う。


ストラヴィンスキーの「ヴァイオリン協奏曲 二調」では神尾真由子の独奏が素晴らしかった。今年夏のミューザ川崎シンフォニーホール「サマーフェスタ」で川瀬賢太郎指揮神奈川フィルハーモニー管弦楽団とサン=サーンスの「ヴァイオリン協奏曲第3番」を弾いた際は高温多湿の下で楽器の音程を維持する困難を差し引いても、フランス音楽への適性自体に疑義を呈する批評をホール発行の「かわら版」に書いた。だがストラヴィンスキーでは一転、神尾の図太い音、ヴィルトゥオーゾの「大見得」のきり方が最大限に活きた。特に第4楽章カプリッチョの技巧的難所で、ここぞとばかりに技巧を誇示する姿は見事の一語に尽きた。


後半のベートーヴェンはティンパニを古典仕様に交換するなど、ノットらしい様式感の配慮を施しつつも、ライヴならではの生命感に満ちた演奏を展開した。第3番《英雄》と第5番(《運命》)の谷間に位置した温雅な風貌とされ、「ギリシャの乙女」などとも呼ばれる交響曲に対し、ノットは全く別のアプローチを選択した。すなわち《英雄》で爆発したエネルギーを継承してブーストアップ、《運命》に連なるクレッシェンドの断面として強烈な再現を試みたのである。第1楽章こそ「乙女」を思わせるエレガンス、徹底的に絞り込んだ弱音の美しさを装っていたが、第2楽章のクライマックスは《英雄》の「葬送行進曲」のパトスを想起させ、第3〜第4楽章の振幅は《運命》の疾風怒濤を確実に予感させた。ある特定の響きが形而上の世界にトランスする瞬間もしばしば現れ、夢中になって聴いてしまった。


ロココ的な側面を強調されがちなモーツァルトに潜む演奏困難の苦み、バレエ音楽「春の祭典」に象徴されるとんがった時代を経た後の新古典主義のストラヴィンスキーと、前半では音楽史の「ネガ」&「ポジ」が逆転。後半のベートーヴェンでも、アポロの仮面に隠れたデュオ二ソスの素顔を白日のもとに晒した。「〜的」「〜のようなもの」といった音楽の常識に反旗を翻す挑発を試みながら、「アポロとデュオニソスの対話」的な品格を保ち、最後は楽曲の良さを納得させるのが、ノット&東響というコンビの持ち味であり、良さである。

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