• 池田卓夫 Takuo Ikeda

チャイコフスキーのPコン3曲を一気に


演奏会終了後の楽屋で福原彰美(左から2人目)を囲んで、応援団?の記念撮影

今年6月まで改修工事で閉まっているミューザ川崎シンフォニーホールに代わり、カルッツかわさき(川崎市スポーツ・文化総合センター)に会場を移した「ミューザ川崎シンフォニーホール&東京交響楽団《名曲全集》第145回」(2019年2月3日)。桂冠指揮者のベテラン秋山和慶が3人の若いピアニストをソロに迎え、チャイコフスキーが残した3曲の「ピアノ協奏曲」すべてを2度の休憩をはさみ、一気に聴かせる面白いプログラムだった。


いきなりオカルトっぽくて申し訳ないが、私にとってミューザの方角は良いが、カルッツはどうやら鬼門らしい。一昨年9月のオープニング公演、イタリアの大ソプラノ歌手マリエッラ・デヴィーアにとって「ノルマ」(ベッリーニ)の首都圏歌い納めとなった本番は台風が直撃、歩道からエントラスに上がる外付けの階段を暴風雨と闘いながら上がった記憶がある。ゴミ箱はなくて「お持ち帰りください」、カフェの代わりに伊藤園の自動販売機1台、クロークは小さく途中で「満員札止め」…と、ツッコミどころ満載。向かい側は川崎市営競輪なので駅からのバスは耳に鉛筆をはさんで予想新聞を片手に持つおじさんと、オペラ仕様に着飾ったマダムたちとのコアビタシオン(共生)が、何とも不思議な不協和音を奏でる。


今日は家から品川駅まで自転車で向かう途中、自転車レーンの終了を見越して歩道へ移ろうとした途端、縁石の目測を誤って車体が引っかかり、身体が歩道に放り出されて手足を打った。ズボンの左膝に穴が空き、血が出ている。とりあえず駅前の港区駐輪場まで我慢してこいで停め、駅ナカのコンビニでマキロン、バンドエイドを買い、誰でもトイレで応急処置を施した。痛いけど音楽を聴けないほどではなく、定刻にカルッツ到着。そもそもミューザにはいつも車を運転して行くが、カルッツのホームページには「地下駐車場の台数、60台だけです」とあってリスクを伴うため、仕方なく電車で出かけたのだった。次に訪れる時は何が起きるのか、まったくもって想像がつかない。だいたいカルチャー、スポーツの兼用施設だから「カルッツ」と名付けたセンス自体、私とは徹底的に合わない世界の発想である。


で、肝心の演奏(すみません、痛みのあまり前置きが長くて)。最初の「第3番変ホ長調」のソロは米国暮らしが長く、2010年に名チェロ奏者クリスティーヌ・ワレフスカのデュオパートナーとして日本楽壇に復帰して以来、室内楽やリサイタルで目覚ましい活躍を続ける福原彰美が担った。福原にとって久々の大オーケストラとの協奏曲で、期するものも大きかったのだろう。単一楽章約16分の作品にもかかわらず、「悲愴」交響曲の直後に書かれた最晩年の円熟にふさわしいスケールを鮮やかに再現、クリスタルな音色と際立ったリズム感で一気に聴かせた。シンプルな赤のドレスも、過剰な「晴れ舞台」感がなくナイスだった。


次は「第2番ト長調」。作曲者自身が大幅なカットを施し、かつてはエミール・ギレリスら大ピアニストも採用した改訂版ではなく、長大な原典版を2007年のチャイコフスキー国際音楽コンクールで最高位(1位なしの2位)を得たロシアの中堅、ミロスラフ・クルティシェフが独奏した。これはもうロシアン・ピアニズムの保守本流、絢爛豪華なヴィルトゥオーゾ(名人)芸のオンパレードで、40数分を全く飽きさせずに弾ききった。ジャケットなしの白シャツに黒のタイもオシャレながらピアノに向かっている間、極端に前のめりの猫背姿が「ちょっと苦手」と漏らすご婦人方もいらした。自分は演奏後、秋山やオーケストラを心から讃える態度も含めステージマナーを素晴らしいと思った。私と同じ列では見覚えのある女性が笑顔で盛大な拍手。クルティシェフの奥様のヴァイオリ二スト、神尾真由子だった。


トリは最も有名な「第1番変ロ短調」。何と2004年生まれ、まだ14歳の奥井紫麻(しお)が抜擢された。12歳でワレリー・ゲルギエフ指揮サンクトペテルブルク・マリンスキー劇場管弦楽団のソリストに選ばれてウラジオストックの第1回極東音楽祭で演奏、昨年からモスクワのグネーシン特別音楽学校で学んでいるという。さぞ才気走った神童、天才少女かと想像したら、福原以上に地味な中間色(いい色だった)のシンプルなドレスで現れ、非常に穏やかな雰囲気を醸し出すのに驚いた。ところが演奏が始まった途端、マエストロと堂々と渡り合い、合わせの難所も余裕のアイコンタクトでクリア、何よりロシア音楽あるいはチャイコフスキーに欠かせない情感と旋律のゆらぎを適確に再現していく読譜力に唖然とした。年齢的に前2人ほど厚みのあるソノリティはまだ獲得していない半面、すでにオーケストラと対峙するだけの音量を備え、真正面から音楽の核心に迫ろうとする気迫にも事欠かない。


三者三様の稀にみる白熱したソロを通じ、チャイコフスキーのピアノ協奏曲は輝き続けた。


東響は当番コンサートマスターにボリショイ劇場管弦楽団からクロアチアのザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団を経て来日したグレブ・ニキティンを据え、万全の態勢。秋山はもともと「合わせ物」の達人だから何の心配もないが、改めて実演に接すると近年の円熟が伴奏指揮にもはっきり表れ、どの曲でもチャイコフスキーの管弦楽の妙、ダイナミズムを存分に味わわせた。「ピアノ協奏曲全曲って、しんどそう」「音楽的に手応え、あるのかしら」といった疑念を抱きつつ、会場に足を運んだ聴衆も多かったはず。蓋を開ければ1曲ごとにブラヴォーのクレッシェンド状態になり、満足度とお値打ち感の高い演奏会に仕上がった。


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