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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

スケール増したネトピルと読響の初共演


ホールはクリスマス仕様

1975年生まれのチェコ人指揮者トマーシュ・ネトピル http://www.tomasnetopil.com/

は2012年3月、新国立劇場のワーグナー「さまよえるオランダ人」(マティアス・フォン・シュテークマン演出)で東京交響楽団と共演して以来、日本から足が遠のいていた。当時、同劇場が行ったインタビューによると、指揮の初来日は2007年のNHK交響楽団だが「それ以前に尊敬するサー・チャールズ・マッケラスさんが指揮するスコットランド室内管弦楽団のヴァイオリン奏者として日本ツアーに参加しており、愛着のある国です」と本人が背景を説明している。


プラハ芸術アカデミーでラドミル・エリシュカ、イルジー・ビエロフラーヴェク、フランティシェク・ヴァイネルに師事した後、ストックホルムのスウェーデン王立アカデミーでフィンランドの指揮法の大家ヨルマ・パヌラのクラスでも研さんを積み2002年、フランクフルト・アム・マインの第1回ショルティ国際指揮者コンクールに優勝して国際的注目を集めた。現在はドイツのエッセン州立歌劇場とエッセン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者を兼務するほか、欧州各地のオーケストラやウィーン国立歌劇場をはじめとするオペラハウスからの客演以来が殺到しているため、日本にはなかなか来れなかった。7年ぶりの4度目の日本は、読売日本交響楽団(読響)との初共演の形で実現した。


2019年11月29日、サントリーホールの読響第593回定期演奏会は、真に実力のある指揮者にしか請け負えない難曲が並んだ。モーツァルトの「歌劇《皇帝ティートの慈悲》序曲」(1791)で幕を開けた後に指揮者、オーケストラが退席、続くリゲティ作品ではジャン=ギアン・ケラスのチェロ独奏で「無伴奏チェロ・ソナタ」(1948ー1953)に続き、全員が舞台に戻っての「チェロ協奏曲」(1966)。アンコールはJ・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲第1番」の「サラバンド」だった。後半はネトピルの〝お国もの〟でエッセン・フィルとCDにも録音済みのスークの大作、「アスラエル交響曲」(1905ー1906)の60分一本勝負。ゲストコンサートマスターはウィーン在住の白井圭で3つの時代の中欧音楽の特性を確かに把握、スークでは美しいソロも披露した。


「皇帝ティートの慈悲」はハプスブルク帝国皇帝レオポルドII世のボヘミア王即位の戴冠式に際して上演するため、ウィーンではなく現在のチェコ共和国の首都プラハで、モーツァルト自身の指揮で世界初演されたオペラである。ネトピルは演奏時間約5分の序曲をチェコ人としてのアイデンティティー、歌劇指揮者の力量の名刺代わりに選んだと思われるが、小編成ながら豊かに響くオーケストラ、精彩あふれるリズム感で見事に適性を示した。ケラスの手にかかるとリゲティも先日のブラームスと同様、はるかに血の気が多く人間臭い音楽に変貌する。「無伴奏ソナタ」は以前に批評を書いたことがあるマリオ・ブルネッロの大理石の彫像を思わせる玲瓏な演奏の対極にあって、驚いた。1956年のハンガリー動乱以前の作品ならではの民族的要素の素直な継承が、くっきりと前面に出た。旧西ドイツ亡命後の協奏曲は厳格な書法に基づくが、ケラスはここでも人肌の温もりや息遣いを巧みに探り当て、作品との濃密な対話を実現させた。ネトピルの指揮は俊敏で、ソリストとの呼吸もぴったりだ。


「アスラエル交響曲」はまさに、ドヴォルザークとマーラーの間に位置するボヘミア音楽の展開といえる。溢れ出す美しさの背後に絶えず儚さが漂うのは前半の3楽章(第1部)を義父ドヴォルザーク、後半2楽章(第2部)をその娘、27歳の若さで心臓疾患のために亡くなったスークの妻オティリエに捧げた鎮魂曲ならではの味わいだろう。アスラエルとは「死を司る天使」の意味という。ネトピルの指揮は並々ならない思い入れで隅々まで作品を熟知しており、透明で端麗に引き締まったピアニッシモから中くらいの音量のところでの歌わせ方、トゥッティ(総奏)で管楽器が力強く輝かしい和音を奏でるフォルテッシモに至るまで、すべてを理想的なバランスで再現した。オーケストラの弾き間違いが少ないであろう、無駄のない指揮ぶりに一瞬、今は亡き師エリシュカ(札幌交響楽団名誉指揮者)の面影をみた。読響も献身的な演奏で能力を全開、感銘深い演奏会となった。再共演が待たれる。





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