私は連休が苦手だ。いつもより多くの音楽イベントが集中し、会合も多い。気付いたら火曜日になっていた。2019年11月4日(月曜振替休日)の時間割。1)11:45〜12:45=ザルツブルク音楽祭のヘルガ・ラブル=シュタトラー総裁、マルクス・ヒンターホイザー芸術監督に「音楽の友」誌のためのインタビュー@国際文化会館、2)14:00〜15:00=フランチェスコ・トリスターノ「グレン・グールドへのオマージュ」@東京芸術劇場(前半のみ)、3)16:00〜18:30=ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団&リサ・バティアシュヴィリ(ヴァイオリン)演奏会@サントリーホール、4)19:30〜23:30=フレンチの着席ディナー@マンダリンオリエンタルホテル。帰宅は0時半だった。
来年が100周年の節目に当たるザルツブルク音楽祭。2020年のプログラムは2019年11月13日解禁なので、今は書けない。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のアジアツアーに同行し、日本や韓国で総裁一行がプレゼンテーションやインタビューを行っている。15年来の友人である広報本部長、ウラ・カルヒマイヤーとは今年の夏に5分も話せなかったので、昨日はゆっくりした再会を喜び合った。ヒンターホイザーはジェラール・モルティエ以来の名プロデューサーとして、今や音楽祭の芸術面の「良心」といえる存在になった。
ルクセンブルクで生まれ、ニューヨークに学び、一家でバルセロナに住むフランチェスコ。後半の「東京ストーリーズ」こそ逃したもののギボンズ、スヴェーリンク、グールドの作品に自作、アコースティックとプリペアード、サウンドエフェクトとヤマハのフルコンサートグランドの可能性を縦横に引き出した前半(グールドへのオマージュ)だけでも聴き応え十分。相変わらずの「マイ・ワールド」でクラシック、ポピュラー、同時代音楽のいずれにも分類不能な表現世界は何かにつけてジャンル分けを好む日本市場では、日増しに茨の道となってきた。がらがらの東京芸術劇場大ホールで唯一無二の音楽体験を共有しながら「これは深夜にゆっくり、酒でも飲みながら聴きたい音楽だな」と、池袋の昼下がりをうらむ。休憩時間に楽屋を訪れ「次は日本酒と揚げ出し豆腐、ラーメンの東京ストーリーズ続編、必ず一緒しよう」といい、フランチェスコ自撮りの「ヘン顔」ツーショットを収めて、バイバイ。
ヤニック姐さん(ネゼ=セガンはゲイをカミングアウトして全米メジャー演奏団体のシェフに就いた史上初の指揮者)とフィラデルフィア管弦楽団の極東ツアーは今回、絶好調だ。前回はまだ就任して日が浅い上、日本の会社更生法に相当する「連邦11条」(チャプター・イレヴン)に基づく再建の途上で、ゴージャスなはずの「フィラデルフィア・サウンド」の〝お肌〟がカサついていた。11月4日のサントリーホール。美女バティアシュヴィリは王道のチャイコフスキーの協奏曲ニ長調で激しい情念の炎を超絶技巧のフレームにたぎらせ、聴衆を圧倒した。チョン・キョンファや前橋汀子の全盛期を思い出す、「娘義太夫」型の〝女弾き〟(今や全て、差別用語のカートに入るであろう往年の評論家たちの言い回し)では最上級の激烈表現であり、2週間前に聴いた樫本大進(セミヨン・ビシュコフ指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団との共演)のクールな〝男弾き〟の対極をとことん、味わわせてくれた。ヤニックのコラボレーションも万全で、冒頭のビロードのようなオーケストラの音色に触れた瞬間、最晩年のユージン・オーマンディーがイツァーク・パールマンを独奏に立てた同曲の名盤(旧EMI)を思い出した。私が生まれて初めて自分で再生したLPは、オーマンディー指揮フィラデルフィア管弦楽団のサンプラー盤。大学生のころに一度だけ、東京文化会館大ホールで実演に接して豊麗な音色に圧倒され、思考が完全に停止した記憶がある。その雰囲気が昨夜、実に久しぶりに蘇ってきたのは何よりだった。
インターネットの動画サイトには12歳のヤニックがディスクに合わせ、指揮棒を振り回す映像が残っているが、千手観音のように手を動かし全身で音楽を表現する姿はまさに、「子どもがそのまま大人になった」としか言いようのないもので、とてもチャーミングだ。マーラーの「交響曲第5番」を相手にしても「おもちゃ箱をひっくり返した」ときの興奮を忘れず、全体の大きなドラマトゥルギーよりは場面ごとのヴィジュアルなイメージを優秀な「楽器」の性能を最大限に駆使して提示する手法。アダージェットの中間部でギョッとするポルタメントが飛び出したかと思えば、第5楽章大詰めのトロンボーンはかつて聴き覚えがないほど克明に吹かせるなど、芸は細かい。その全てを肉厚のストリングス、強靭で華麗なブラス、味わい深いウィンズが美音の限りを尽くし、再現する。ドイツ語圏のマーラーとは全く異なるアプローチながら、メトロポリタン歌劇場音楽監督を兼務するオペラ指揮者としての劇場的表現に貫かれた演奏は人生肯定的で、オーマンディーの前任者レオポルド・ストコフスキーが現出させたディズニー映画「ファンタジア」の世界に一脈通じるものがあった。
最後の会食は37階の見晴らし良いフレンチダイニングから東京湾、レインボーブリッジ、東京タワーや高層ビル群を眺めながらだった。ロンドンと日本を往復しているヴァイオリニスト母娘との席で日本ドメスティックの早飯(最近は自分も完全にそちら側かもしれない)の真逆。4時間のゆったりした食事と会話を楽しむ席となり、1日の疲れを癒した。
面白い。専門知がないところで読んで、クラシック批評に「娘義太夫型の女語り」といった形容がでてくるととても嬉しくなる。批評の新境地を開かれたい!