新旧2人のアジア系ヴァイオリン奏者、サラ・チャン(1980ー)とチョン・キョンファ(鄭京和、1948ー)を2日続きで聴いた。ともに天才少女として世に出ながら、スランプによる一時引退も経験、それでも音楽への強い愛情と意思を失わずに一線へ返り咲き、自身の芸術を深めてきた鉄人アーティストである。
2019年10月7日の紀尾井ホールはサラ・チャン。昨年、NHk交響楽団若手の弦楽五重奏と組んだ「2つの《四季》」(ヴィヴァルディとピアソラ)が素晴らしく、今年もプログラムに解説を書かせていただいたので、フランクのソナタと小品名曲の組み合わせにも惹かれ、楽しみに出かけた。ピアノはフリオ・エルザルデ。前半は冒頭にバルトークの「ルーマニア民族舞曲」を置き、遅刻者やいきなり音楽の世界に浸りきれない現代の聴衆に気を配り、フランクへと進んだ。
何か変だ! ボーイングの闊達さが抑制気味で、ピアノも蓋を全開にしつつも、慎重に対応している。終演後に楽屋を訪ね、握手をして判ったのだが、手の具合が悪く、完全燃焼をためらった結果だった。それでも力で押し切らずにフランクのスタイルを入念に再現、しっとりしたドヴォルザークの「ロマンス」からラヴェル「ツィガーヌ」の爆発まで4曲、全身全霊をこめて弾いた後半まで、現在のサラが作曲家それぞれに最大限の共感と奉仕を捧げる姿勢は一貫していた。エリザルデのピアノも達者で、アンコールの1曲目のガルデルのタンゴでは2人の思いが爆発、素晴らしい高揚に至った。
楽屋での笑顔は10代前半の初来日の折にインタビューした際の面影を残しつつ、穏やかな大人の女性の風格もにじませる。来年ようやく40歳。さらに深化していくことだろう。
翌8日は東京文化会館大ホールの都民劇場音楽サークル第666回定期公演で、チョン・キョンファ。J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番」の後、ピアノのケヴィン・ケナーを迎え、ブラームスの「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番(プログラムには第1番《雨の歌》と記され、開演前に何の予告もないまま、唐突に2番が始まって焦った!)と第3番」を演奏した。キョンファのバッハは前回より格段にテクニックが安定し、さらなる復調どころか、かつてない領域への進化を遂げていた。大袈裟な身振りは完全に抑えられ、核心の一点に脇目も振らずに集中、名刀を丹念に、真剣勝負で操る。枯れていて、豊穣なバッハ。「私はアジアの同胞たちとどこまでも手を携え、バッハの高い山を登り続けます」。かつて私とのインタビューで決然と語った言葉は今、確かな現実となった。
1990年のショパン国際ピアノコンクールで1位なしの2位(最高位)を獲得した米国人ケナーは、今は亡き中村紘子さんをして「審査員全員が1位のトロフィーを差し出して待っているのに気が弱く、いつも本線でしくじるのが惜しい」と言わせしめた逸材。協奏曲のソリストとしてポーランドのオーケストラの日本ツアーに同行した折、移動のバス(オケバスという)車内でインタビューしたときも好青年そのもので、音楽への深い見識に強い印象を受けた。その後、キョンファの知遇を得て単にピアノのパートナーにとどまらず、作曲家ごとの様式や最適の奏法、バランスなどを総合的に究め、話し合い、助言する関係を築いてきたのは双方にとって、幸福な展開だったに違いない。実力十分のヴィルトゥオーゾ(名手)が蓋を全開にして弾いているにもかかわらず、うるさかったり、ヴァイオリンをマスクしたりする瞬間は皆無。アンコールのシューベルトとは明らかにタッチ、音色、音量も変え、様式感確かな室内楽のピアノを披露した。
キョンファも「会話」を楽しみ、ソロで突っ込む場面の気迫は全盛期そのものながら、オブリガートで「かぶる」場面の見事な艶消しなどは、かつてみられなかった部分で、ケナーとのデュオのもたらした実りがいかに大きいか、如実に示していた。枯れた音色を出す瞬間、肉声のすすり泣きのように響く感触は、秋の夜長にふさわしい。キョンファの熱烈な支持者だった先輩(高校も同窓)評論家、「宇野功芳さんにこそ聴いていただきたかった」と思いながらホールを出るとき、今度は黑田恭一さんの奥様とすれ違った。一期一会の夜。
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