家族で劇場を訪れ、感動を共有する図式は昔も今も同じ、コロナ渦中でも変わらない夏休みの景色だ。2021年8月12&13日、東京都と東京都交響楽団が主催する「サラダ音楽祭」の一環として東京芸術劇場シアターイーストで上演されたレオナルド・エヴァース作曲「子どものためのオペラ《ゴールド!》」(菅尾友の演出・台本日本語翻訳)は4歳以上入場可。
8月12日の昼、東京・浜松町の「四季劇場・春」で観た劇団四季版ディズニー・ミュージカル「アナと雪の女王」も親子連れで賑わっていた。
を原作とするが、オペラには2人の間の息子であるヤーコブが加わり、客席の子どもたちとの橋渡し役を担う。人間の欲望の肥大には果てがなく、何かを得ればまた別の何かが欲しくなる様をシンボリックに描き、最後は破綻する。ソプラノの柳原由香がヤーコブ、母、魚(原作ではヒラメ)、打楽器演奏の池上英樹が父を演じる。開演前、榊原が客席に向かって「波の音で、みんなも加わってもらうよ」と声をかけ、彼女が大きく腕を振り回すと、客は手足をばたつかせて〝効果音〟を出す。本番では子どもたちが引き込まれれば引き込まれるほど、波の音が大きくなっていった。菅尾の日本語台本は簡潔、抽象的装置と最低限の小道具だけで、物語の情景を巧みに想起させる。柳原も熱演だったが、もう少しベルカント的ではなく「こんにゃく座」風の発声を意識したら、より日本語が自然に響いた気がする。パーカッショニストはパフォーマー、を地でいく池上の怪演?もバッチリと決まっていた。子どもたちの反応は様々。だんだん静かになる子もいれば、ひたすら「帰ろうよ」と言い続ける子もいるが、その声もまた一つの効果音のように響くのは作品設計の見事さゆえだろう。
「アナと雪の女王」はただひたすら美しく、活気もユーモアもある舞台で心底、楽しんだ。生のオーケストラを指揮したのは、時任康文。かつて東京オペラ・プロデュースの公演で何度かお世話になったマエストロで懐かしく、相変わらずの適確な手綱さばきに感心もした。思えばコロナ禍の少し前まで、東京オペラ・プロデュースや首都オペラ、大田区民オペラ協議会、日本オペレッタ協会、東京室内歌劇場など中小の上演団体が「小粒でもピリリと辛い」プロダクションを競い、時任をはじめとする(当時の)若手指揮者がオペラの訓練を積む場が随所に用意されていた。今は世界水準を目指す新国立劇場や東京文化会館、びわ湖ホールなど大規模な公共劇場のプロダクションに中心が完全に移り、若手の修業の場は相対的に減っているように思うのだが、何が原因しているのだろうか?
「アナ雪」のキャストに隙はない。エルサ岡本瑞恵の大人の色香、アナ町島智子の精彩、クリストフ北村優のワイルドな男気、ハンス塚田拓也の軽薄な二枚目ぶり、人の言葉を喋る不思議な雪だるまオラフ山田充人の軽妙なコメディセンスなど、適材適所で一貫する。中には子役から四季の舞台で経験を積んだ俳優もいて、長い年月をかけて練り上げてきた日本語ミュージカルのノウハウや、そこで達成してきた水準の高さにも思いが至る。最初はざわついていた子どもたちも、雪の女王エルサが氷の宮殿(最新のテクノロジーを駆使した見事なイリュージョンのヴィジュアル)をつくり、代表曲「ありのままで」を絶唱する第1幕の終わりでは完全に〝鎮圧〟される。午後1時開演の昼公演は睡魔もピークに達する時間帯なのだが、今回の「アナ雪」ばかりは一睡もせずに堪能、ふと子ども時代を思い出したりもした。
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