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執筆者の写真池田卓夫 Takuo Ikeda

コエーリョの日本指揮者デビュー、サウダージなシューマン

更新日:2018年9月28日


29歳のポルトガル人ヌーノ・コエーリョが9月25日、東京芸術劇場コンサートホールで「指揮者としての日本デビュー」を東京ニューシティ管弦楽団第120回定期演奏会で実現した。元は堀米ゆず子門下のヴァイオリニストで、某歌劇場管弦楽団のエキストラ奏者として「日本の土を踏んだことがある」(終演後の楽屋で聞いたご本人の説明)という。日本人に比べても小柄で驚くが、昨年はザルツブルク音楽祭のネスレ主催「若い指揮者ための賞」、カタルーニャ・バルセロナの難関カダケス国際指揮者コンクールに続けて優勝、現在はアムステルダムを中心にオペラ、コンサートの両分野で活躍している。明快な指示で弦の奏法を丁寧に整え、滑らか(レガート)なフレージングを基本とするが、ヴィブラートは控えめだ。曲目は「すべてオーケストラ側からの提案」(同)で、若い指揮者の力量を査定する趣き。シューマンの「序曲、スケルツォとフィナーレ」のダークな空に一筋の光がさすような弦の響きを聴いていて、瞬時にポルトガル語の「サウダージ」を思い出した。ラテン圏でありながらイタリアやスペインに比べ大人しく、繊細な情感に富むポルトガル人のメンタリティ、感受性を表す言葉。作家の新田次郎は「孤愁」と意訳している。続いては塚越慎子をソロに迎えた伊福部昭のマリンバ協奏曲、「ラウダ・コンチェルタータ」(1979)。タケミツでもホソカワでもない日本人作品、しかも西洋の洗練よりはアジアの土俗性にあふれた名作の再現はヨーロッパの若い指揮者にとって「とても大変」だった。筆者が担当したプログラム冊子の楽曲解説に引用した通り、「私の求めるリズムは泥道を裸足か草履で歩くもの。今の演奏家が革靴でアスファルト舗装の道に立つ感覚では再現できないのです」と語っていた伊福部。コエーリョが東京ニューシティ管から引き出したのは、オーケストラという西洋文明のメディア(媒体)が持つ強い力が伊福部の野趣をも飲み込み、20世紀モダニストの系譜に糾合してしまった結果の響きで、洗練されて輝かしい塚越の音色ともども、斬新の極み。初演者の安倍圭子(マリンバ)、山田一雄指揮新星日本交響楽団による実演(再演)を生で聴いたことがある自分の思いは、やや複雑だった。後半、ベートーヴェンの「交響曲第7番」でもコエーリョの適確なバトンテクニック、審美眼、サウダージの陰翳などが重なり、単なる「若さ爆発!」に陥らなかったのが好ましかった。

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